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June 24, 2009

「三助の効用」

Arenmayu2


 「三助」というのをご存知だろうか?
江戸時代から昭和の中期にかけて、銭湯で背中を洗ってくれる流しの
男衆の総称なのだそうである。
 今も東京にひとりおられるという話も聞くが、本当のところは知らない。

語源は、越後から江戸に出稼ぎに来た兄弟3人が、3人とも名前に「助」
がついていた。
 客が誰ともなく、3人を「三助さん!」と呼んだらしい。

全国に「子宝の湯」というのがあるが、不妊の女性がこの湯につかると
子宝に恵まれたという。
 「三助さん」が協力したんじゃないかという説があるが本当なのか、
単なるうわさか信偽のほどは不明であるが、ありそうなことではある。
 何しろ江戸時代のことである。

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June 22, 2009

「愚に還る」講師:町田宗鳳

Matida1


町田宗鳳先生というのは、1950年京都生まれで、現在は広島大学
大学院教授で、「比較宗教学」をおもに研究しておられる。
 
経歴は波乱万丈というべきだろう。
 先ずは、14才、中学2年生のとき出家する。
自宅が大徳寺のそばにあったということもあるが、幼い頃から病弱で
あった彼は、「死というもの」をよく考えさせられたという。

 それに、きびきびと作務に励む、りりしい若い修行僧を間じかに眼に
することがしばしばあった。
肉体的鍛錬にあこがれたのか、周囲の反対を押し切り出家を決意する。

 20年の長きにわたる修行の末、国際的禅学者の鈴木大拙に憧れ、
また日本脱出、世界に羽ばたくことを夢見た彼は幸運にもハーバード
大学の特別研究生として受け入れられ、神学を学ぶ。

 19年の海外生活の後、現在に至る。

偶然にも、彼の教育テレビ、早朝5時からの「こころの時代」という番組で
「法然を語る」というテーマで出演の町田宗鳳先生のことを知る。

 「興味深いひとだなあ!」と惹かれ、彼の著書をいくつかアマゾンで買
って読んだ。
それからしばらくして、縁があるのか、在所で彼の講演会があると聞いた
のである。

 「渡りに船」と勇んで、21日の日曜日猛暑の中、出かけた。

それは、かずぼうが座禅に通っている桂林寺の本堂で行なわれた。
 舞鶴宗教懇話会の創立5周年記念大会のイベントであった。
いろんな宗教の人びとのグループが世界平和を祈念し、各宗派の交流
を図り相互理解を深めるという趣旨のようである。

 1時半より、汗の吹き出るような熱気の中、講演会は始まった。
町田先生は若々しく、声のよく通るアルトの美声で、笑顔の絶やされな
い紳士然とされた人であった。

 講演内容も、スポンジに水が吸い込まれるような気分で、かずぼうの
こころに素直にしみわたる。

 金融危機に翻弄され、生きる意味や喜びを失った人々が増える中、
経済至上主義や物質文明のいきずまりが叫ばれ、混迷を深める社会
にあって、どうしたら平和に、生きる喜びを感じられるか?
 彼は、「愚に還れ!」とひとことほほ笑んで言う。

彼の研究対象・法然の言葉、「愚痴に還りて、極楽に生きる」から由来し
ているらしい。

 知性や理性を高く評価してきた近代文明において、人間がみずから
の中にひそむ”エゴ”という怪物の餌食になりつつある。

 近代文明は自然破壊と貧富の差の拡大によって"バベルの塔”と化し
崩壊の危機に瀕している。
 ""に徹することによってやさしくて慈しみあふれる信頼の世の中を
作ってゆきたい。

「本当に偉い人は、バカになれる人」と言い、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」
の詩を引用する。


   丈夫ナカラダヲモチ
 
   慾ハナク

   決シテ 瞋ラズ

   イツモシズカニワラッテイル
         ・
         ・  
         ・
   ミンナニデクノボートヨバレ

   ホメラレモセズ

   クニモサレズ
 
   サウイウモノニワタシハナリタイ

 最後に、"トイレ掃除の天才”ともいわれるイエローハットの創始者
鍵谷秀三郎さんを取り上げ、社長みずから率先してトイレ掃除やゴミひ
ろいに徹する姿をスライドに映し出し、「愚に還る」大切さを披露されて
講演は終わったのである。

 世の中には偉い人はたくさんいるものである。
それはお金持ちだとか名声があるとか肩書きがたくさんあるとというと
ではない。
 それは、毎日の平凡な生活を、丁寧に誠実に黙々と、愚に徹して送っ
ておられる人たちのことをいうのであろう。

 早速、帰ってから"トイレ掃除”に徹することにしようっと・・・。

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June 15, 2009

「ある全国行脚の托鉢僧」

Sandaru

      托鉢僧のはいていたサンダル

 昨日の日曜日、恒例として参禅会に行った。
いつもと違って、僧侶の方がひとり参加しておられる。
ちょっと緊張したが、副住職のお友達のようである。

 座禅が終わった後、紹介してもらった。
Tさんといい、63才で全国を行脚しておられ、富山、岐阜そして敦賀と
まわられて、今、友を訪ねて舞鶴に来られたそうである。
 1年のうち、10ヶ月は旅をしておられ、夏は北海道に向けて冬は九州
に向けて行脚していたが、今年は逆に今から九州に向かうという。
 副住職とは、年令はかけ離れているが修行道場に入られたのが同じ
頃であったそうである。

 彼は、現在いわゆる「雲水」というわけで、修養や教化のために処々を
遍歴することで仏道修行のために旅しておられる。
 生活は、「行乞」すなわち托鉢という形でお布施というか、物乞いのみ
で立てているそうである。

 1日、5~6時間、15キロくらいは歩かれている。
泊まるところは、安宿やユースホステルだそうで、食事は、1日コンビニ
弁当1個くらいの量で、いたって小食らしい。
 しかも、肉は食べない。
肉は、"血のにおい”がするので食べれないという。

 「小欲知足」ということはよく言うが、簡単に言うと「食べること」に尽きる
といわれる。
 食べるものを少なくすると、健康によいし、歩きがスムーズになるという。

興味津々となり質問させていただいた。

 「お寺の跡継ぎでもないのに、なぜ出家されたんですか?」

 「一級建築技師としてバンバンに働いていたんですが、あるとき急に、
  娑婆に愛想が尽きて出家という形をとったんです。
  今はひとり身で、保険も年金もなくサバサバしたもんです。
   病気になれば、お医者さんに見てもらうこともなく死ぬだけです」

 「托鉢中に、話しかけられるということはありませんか?」

 「田舎ではあまりありませんが、都会ではよく声をかけられ相談を受けます」 

 「なぜ、全国行脚してられるんですか?」


 「ひと言で言えば、”悟りを得るため”でしょうか。修行中ということです」

 「ひとりで寂しくありませんか?」

 「全然、寂しくなんかありません。毎日が充実しております」


 世の中には、えらいひと・・・変わったひとがいるもんです・・・。
うらやましいというか、感心するだけというか、とてもまねできません。

 苦しいこともあるけれど、楽しいこともあるので「娑婆」からはなかなか
抜け出れません。

 ひとつだけ”まね”しました。
”らぽーる”の靴屋で、彼と同じサンダルを買いました。
 とても歩くのに最適なサンダルで、年中同じサンダルを履いているそう
です。

まあ、まねするのは凡人には、サンダルくらいですかね・・・。

 

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June 08, 2009

「初めてのひとり登山」

Misensan


 この日曜日は、数人で伊吹山・北尾根の山歩きの予定だった。
隊長が急に都合が悪くなり、計画が頓挫してしまった。

 急遽、休むつもりをしていた週課となっている座禅会に出席した。
早朝6時からの、30分、30分の合計1時間の座禅である。

 今日の座禅中は、結構騒がしかった。
お参りの檀家の方が本堂近くを歩かれるパタパタという足音が聞こえた。
 さらに、外から進入したトンボや甲虫らしきやからが天上にぶつかる音
がする。
 これらの雑音に対しては、聞くともなく聞いて、それらにとらわれない。
そして、さらにはその音そのものになりきることが大切だと教わっている。 
 そういっても、なかなか凡夫ゆえ、うまくゆくはずはない。
文字通り、「そうは問屋が卸さない」というやつである。

そのうちに、左の耳元あたりで蚊の羽音がブーンと聞こえる。
「やばい!」必死で無視して"座禅三昧”にはいろうとする。
 顔のまわりを散々飛び回って、ついに右の頬に止まったようだ。
しばらく静寂が続く。
 やがて飛び立ち、ブーンという羽音をひびかせながら、数回僕の顔の周り
をまわって飛び去る。
その間5分くらいか、じっと静止しているのがこんなにつらいとは・・・。

 ようやく座禅会も終わり、帰路に着く。
空はどんよりとした雲におおわれている。
天気予報では、段々に良くなるとか。

 しばらく山に行っていないし、ぽっかりとあいた日曜日。
ままよと「ひとり登山」を実行する。
 山は近隣で、自宅から車で30分あまりの綾部市と舞鶴市の境にある。
弥仙山(みせんさん)といい、この近辺では3本の指に入る名峰である。
   (後のふたつは、青葉山と由良ヶ岳である)
 鋭い三角峰は「丹波の槍ヶ岳」とか「丹波富士」とも呼ばれるという。

 くねくねと曲がった狭い峠道を抜けて登山口に着く。
駐車場には車が1台だけポツンと止まっている。
 この間買ったばかりの新品の登山靴が心地よく足に入る。

ここは昔、大本教の修行場でもあったので神社が4つ位ある。
だから鳥居がチョコチョコ見られるのである。
 赤い小さな鳥居を右手に小川の上にかかる小さな橋を渉って登り始める。
この山は2~3回は登ったことがあるが、もう大分前の話である。

 急坂の深い樹林の中、ジグザグに登り、続いて苔むした古い石段を140
段ばかりハアハアいいながら登る。
結構息切れがする。
 その後しばらくして、山頂の金峰神社に着く。
ここまで2.1キロの行程である。
新しく整備がしてあって、案内は行き届いている。
 霧雨というのだろうか、あたりは一面の霧に包まれ湿度はきっと100%
近いのであろう。
 遠くに野鳥の鳴き声だけが響く。

ここでお昼ご飯にする。
 コンビニのオカカと明太子のおむすびがうまーい!

今回から、リュックをおろさずに水が飲めるように、トライアスロン用のペット
ボトルよりチューブが付いていて、それをチュウチュウ吸うというスマチュー
ブなるものを購入しリュックに取り付けた。
 その試運転をしたわけであるが、まあまあ便利である。
しかし、マウスピースの噛んでできる割れ目より水を吸うのに、結構力が
要るのが難点である。

 それと、携帯電話とデジカメの袋をリュックの背負いベルトにクリップで
取り付け、取出しを容易になるようにした。
 これは結構便利である。

帰路は、尾根を回りこむようにして登山口に出る「改心の道」を選ぶ。
 「改心の道」とは、意味深であるがいわれは知らない。
視界の閉ざされた、深い自然林の中をひたすら歩く。
 全長8キロ弱もあったろうか。
延々と続く狭い登山路に少々うんざりである。
 ほとんど誰にも会わない。
道端を良く見ると、イカリソウやカタクリらしき葉っぱがそこそこ見つかる。
 春先には可憐な花が眼を楽しませてくれるだろう。

やっとのことで林道に出る。
 2時間はゆうにかかったようである。
林道もかなり長かったがようやく登山口にたどり着く。

 「ひとり登山」は、ビビリのかずぼうには、熊に出くわさへんか?、また
追いはぎに襲われへんか?(江戸時代じゃあるまいし・・・)不安であった
が、それがまたスリリングで、Mではないが楽しめたのである。

 実際の話、山では携帯もほとんど通じない。
万が一ではあるが、心筋梗塞や脳溢血の発作に襲われると死に至る危
険性は十分あるのである。
 そのときは、そのとき・・・覚悟を決めなくてはならない。

霧の立ち込めた深い樹林の中を、誰にも会わずにひとり歩くというのは、
もちろん、「非日常」であり、なかなか下界では味わえない素敵な体験で
あった。

 
 

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June 04, 2009

「自転車で散歩の管長さん」

Jizousan_3

 ある人から聞いた話である。
さる有名な京都のお寺の一番えらい人・管長さんのことである。
彼は毎朝同じコースを決まった時間に自転車に乗って走るという。
 どこかのおじいちゃんという普通の格好で管長さんとは分からない。

その管長さんが、ある場所で必ず同じ男性に会うのだそうです。
 そして、毎朝、「おはようございます!」と管長さんが声をかける。
ところが、その男性は返事をしません。

 しかし、管長さんは、この返事をしない相手に2年間、同じように
挨拶を続けたそうです。
 
その2年後のある朝、その男性が初めて、「おはようございます」と
応えて、その場に泣き伏したのだそうです。
 何が起こったか詳しくはわかりません。

ただ、それだけのお話です・・・。

 かずぼうは、感動でウルウルしました。

ただそれだけのお話です。

 
 
 

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