「いまこそ覚悟の時代?」
本屋へ行くと目立つところに並べてある新刊書にざっと眼を通すのを常
とする。
最近やけに、「覚悟」という文字が目につく。
たとえば、野球選手の書いた本とかにである。
そういった中で、五木寛之著「人間の覚悟」という新書を読んだのである。
帯には、「経済が、絆が、国が壊れていく。ついに、"覚悟"を決めるとき
が来た。」とある。
結構、ショッキングな言葉ではある。
「覚悟」というのは、"悟りを覚える”というのが字ズラからの意味であろう。
五木さんは言う。
「覚悟」という言葉はもともと仏教用語で、辞書には「迷いを去り、道理を
さとること」とあります。
他に、「危険や困難を予想して、その心構えをすること」、そして、「あき
らめること、観念すること」があります。
”あきらめる”、という言葉は私の意見では、「明らかに究める」こと。
物事をはっきりと究め、現実はこうなのだと覚悟することでしょう。
何かを信じる、というのは何かを選択することに他なりません。
そして選択したら異議ははさまず、証明がなくてもそのことを信じてゆく
しかないわけです。
自分が信じることを選択したなら、それを信じて生きていくしかないという
のも「覚悟」なのだろうと思います。
12世紀後半、平安末期から鎌倉時代のはじめというのは、今と同様に
価値観が大きく変動した時期でした。
(地震、飢饉、火事などの天災も多く、朝廷から武士へと権力体制の変化
もありの激動の時代・・・かずぼう注)
法然は「念仏で人は救われる、阿弥陀如来がすべての人をすくってくだ
さる」といっておおきな支持を得ました。
そして弟子の親鸞は、なぜ念仏を信じればすくわれるのか、その秘密を
説明して欲しい、と乞うた人びとに「それは分からない。私は師の法然を
信じてその教えのままに生きています。それでもし地獄に落ちたとしても
後悔はしません」と答えるわけです。
何かを信じたなら、裏切られることがあっても絶対に後悔もせず、責めも
しない、それも「覚悟」なのです。
ですから、今のような時代には、"信じる”ということほど大事なことはない
のかもしれません。
最後に、五木寛之さんは、こう結論づけます。
ブッダが「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分は誰も代わることがで
きないたった一人の存在だから尊いのです。
そのことは、上り坂でも、下り坂でも変わりません。
この先が、「地獄」であっても、極楽であっても、です。
生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしか
ない。
そう"覚悟”しているのです。
なるほどね!
「日日是好日」ということでしょうか・・・違ったかな?
「覚悟」を決めて、日日、修行・・・修行・・・ということでしょうか。



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