「諸悪莫作・・・悪いことは行なってはいけない」
近所の花壇・・・咲きかけのチューリップ
東京に駒澤大学という大学がある。
曹洞宗関係のようで、禅の精神に基づいた「行学一如」の理念を教学の
基本とする大学のようである。
そこの教授に角田泰隆先生(1957~)がおられる。
かずぼうは、テレビとか書物でしか知らないのだが、最近、弟子入りしよ
うかと妄想しているのだ。
初めてお目にかかったのは、教育テレビの「こころの時代」という番組
だった。
細身で、物腰の柔らかい、穏やかな顔をされていた。
教授は、番組の中でもよく反省され、常に自らを戒められていたのが印象
に残っている。
しるされた書物の中で、「道元のすすめ」の「諸悪莫作という自分つくり」
のテーマでもこう話されている。
私たちは自分で意識していなくても、知らないうちに他人を傷つけてい
ることがあります。
私自身にもそのような経験があります。
私が僧侶としてまだまだ未熟であった若い頃、あるお宅へお仏壇の供養
をしたことがありました。
そのときに、お参りの仕方についてお話しました。
線香は何本立てるとか、お焼香は何回するとか、鐘は何回たたくとか説
明する中で、次のようにお話しました。
「お焼香のときは、必ず右手でいたします。インドの古い思想では、右
手が穢手とされ、右手の指についても親指と人差し指と中指が浄指で、
お焼香は右手のこの3本でつまんでいたします」と。
その後、法要が終わってお茶をご馳走になったのですが、右手がひじ
のあたりからない女性が、左手で私にお茶を差し出し、やさしくほほ笑み
ながら「どうぞ、お召し上がりください」とお茶を勧めてくれました。
私は、「しまった」と思いました。
彼女が私の得意げな解説を聞き、どのような思いで左手でお焼香をした
のだろうかと思うと、申しわけないと思いながらも、未熟な私は何も彼女
に語る言葉がありませんでした。
それ以来、私はお焼香に限らず、右だの左だのという話はやめることに
しました。
無意識であっても人の心を苦しめることがあるのです。
そういうことが日常生活にはあると、私たちは自覚しなければなりません。
そういえば、かずぼうにも、若い頃これに似た苦い経験がある。
ある病院で研修をしていた。
担当の患者さんは、高校生くらいの男の子で、血友病(血の止まりにく
い病気)だった。
歯ぐきからの出血があり、がんばって歯磨きの指導をした。
彼は熱心に歯磨きをしてくれた。
数日後、彼の腕は、関節からの出血で上がらなくなったのである。
僕の大失敗であった。
良かれと思ったことでも、人を傷つけることがあるのである。
それ以来、言動でも行動でも、正義の主張と自分で思っていも、もしか
して間違いでは?という疑問を持つこと、また反省をいつもする習慣がつ
いたのである。



Comments
明日からGW本番ですね。山は新緑が眩しいくらいに輝いていますよ。まさに春山は笑うが如しです。そうですね。言ったもん勝ちのようなご時世ですからわが身を反省する習慣は大切なことだと思います。
Posted by: 周 | May 02, 2009 at 09:04 PM
周ちゃん、こんにちは!今朝はいつものように座禅に行って、あと愛犬と散歩、今帰ってきたところです。「言ったもん勝ち」って言うが、本当に「勝った」のだろうか?「勝ち負け」の二元的対立は真実なのだろうか?「超二元」すなわち「自他」の対立を超えた次元が「無」の境地ではなかろうか。座禅をすると「禅的考え」に懲ってしまいます。病気かなあ・・・?
Posted by: かずぼう | May 03, 2009 at 10:52 AM
昔、宇治のとあるお寺で座禅に通っていた時、老師からもらった考案を思い出しました。拍手を打つと音がするがどちらの手から音が出ているか?^_^;
Posted by: 周 | May 08, 2009 at 08:23 AM