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March 31, 2009

「無我夢中の時間」

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 映画監督・大島渚は、1932年京都生まれで、いろいろ悶着のあ
った末、76年「愛のコリーダ」、83年「戦場のメリークリスマス」等で
世界的な評価を受けるにいたる。

 後年、脳梗塞をわずらうも、リハビリを経て、半身不随となってもピ
ンクのスーツを着て、杖をつきながらマスコミに登場する。

 夫人・小山明子の精一杯の看病もすばらしいが、杖をついてまで
もマスコミに登場するというのは見上げたものである。
 普通かっこ悪くて引っ込んでしまうのが、脳梗塞などをわずらって
機能障害のある人の常なのである。

とはいえ、"生病老死”は、誰にでも訪れる普通のこと。
 何も取り立てて、あれやこれやと問題にすることもない。

今は、他の病気も多く併発し、闘病生活を続けられていると聞く。
 一日も早く直られて、復帰されることを願うばかりである。

 彼は、昔、テレビの討論会などにも多く出演し、筋の通った意見をい
ろいろとを述べておられた。 
 本も何冊か出されている。

その本の中に、だいぶん前のことであるが、ちょっといい話があった。
 
 妻の元女優・小山明子さんが四国のお遍路に行かれたという。
一緒に行こう!と言っていたのだが、監督は忙しいと断ると突然友達
と一緒に旅立ったのだという。

 亭主をひとりほっぽり出して行ってしまうとはけしからん!と思って
いたが・・・彼女は実にご機嫌でご帰還となった。

 心配だったので、「全部歩けたの?」と聞くと、誇らしげに「歩きました
よ!」と答える。
 非常に満足そうだったので、何が一番良かったのか?、と聞くと、彼女
によるとこうである。

 要するに何も考えなかったというのである。
ただひたすら歩き、お寺については参拝して、また歩く。
 それだけで精一杯で宿に入ったら食べて眠るだけ。
それを1週間である。
 この間、他のわずらわしいことを一切考える余裕もなく、無我夢中で
歩き、拝み、食べ、眠るだけだったのが最高に良かったと言うのである。
 
 わずか1週間でも無我夢中になって生きられた妻を、彼はうらやましい
と正直思ったという。
 それを一生続けることができるならば、本当に魅力的な人間になれる
はずであろうと彼は言う。

 彼は、人生を唐突に結論付ける。

「人生は、無我夢中である時間をどれぐらい持てるかによって決まる」

    なるほどね!
      うなづけるなあ!

 「無我夢中」というのは、「三昧」の境地なのだろう。

それでふと梁塵秘抄の中の一文句を思い出す・・・。

 「遊びをせんとや生まれけん

    戯れせんとや生まれけん

  遊ぶ子供の声聞かば わが身こそゆるがるれ」

そうだね、子供が、縄跳びとか、お手まりとか、おじゃみをしているときの
嬉しそうで真剣な顔や無邪気な笑い声を聞くと「無心」で、「我執」からは
無縁だもんね。
 それは、「悟り」の雰囲気さえ感じられるのである。

かずぼうにとっての、「無我夢中」とは何だろうね?

 あれとこれと、それとあれと・・・。
ちょっと多すぎるかなあ・・・・?  単純ということだけかもね・・・。

 

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March 18, 2009

「良寛の逸話」

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 谷川敏明著「良寛の逸話」を読んでいると、良寛さんの実像が浮かび上
がってくるように感じる。

 まあ、いわば立派な禅僧で、漢詩、和歌が上手で、字は天才的な才能
を発揮するが、奇狂の人ではなく、実際は普通の人で常識人とさえいえる
のかもしれない。

 一生、托鉢で暮らし、人々に愛され、いろいろ布施を受け、食べ物だけで
なくお酒や衣服、住居さえも提供してもらっている。
 そのころは、周りの人々にも余裕があったし、布施をすることが天国への
切符ともなったのであろうか。

 それに、アーティストとして良寛さんを俯瞰すると、庄屋さんなどがパトロン
の役目をしていたように思われるのである。
 それは、あたかもハイドン、モーツアルトの時代に貴族が彼らのパトロンで
あったようにである。

 江戸時代、約200年ほど前になろうか。
良寛が晩年、世話になった島崎の木村家に、”かの”という娘がいた。

 彼女はたいへん美人であったが、家事の炊事や裁縫などはからっきしダメ
なわがまま娘であった。

その彼女が12歳で結婚することとなったのである。(若いなあ!若すぎる)
 心配した親が良寛さんに再三願って「嫁の心得」書いてもらったそうである。

        その「嫁の心得」というのが次の通りである。

  1、朝夕親に仕ふまつるべき事

   1、縫ひ織りすべて女の所作、常に心がくべき事

  1、菜ごしらひ、お汁の仕立て様、すべて食ひ物のこと為習ふべき事 

  1、読み書き油断すべからざること

  1、掃き掃除すべき事

   1、物に逆らふべからざる事

   1、上を敬ひ、下を哀れみ、生あるもの、
               鳥獣に至るまで、情をかくべきこと


    1、げらげら笑ひ、易面はらし(ふくれつらをすること)、手もずり、むだ口
       立ち聞き、すきのぞき、よそ目かたくやむべき事


    右のくだり常々心がけらるべし

              ”おかの”どの

 どうです、常識人でしょう!!
これは当時ベストセラーの貝原益軒の「女大学」に酷似するという。

 200年ほど前の戒語とはいえ、現代に通じるところ大である。
でもこんな慎み深い女性は現代いるのだろうか?
 かずぼうが古いということかも・・・。

「古い奴とお思いでしょうが・・・」(高倉健の口調で・・・)・・それが古いか。

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March 12, 2009

「美輪明宏さんの本について」

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    今朝は屋根に雪がうっすらと積もるほど冷え
     込んでいますが、数日前には、いい天気で
        ツクシの群落を見かけました


 友人に、「これ面白いですよ」といって、美輪明宏さんの本を借りた。

美輪さんといえば、もう70歳を過ぎた高齢の人で、最近ではテレビの
「オーラの泉」とかいう番組に出ておられる、”前世”とか、"霊"につい
て語っておられるひとという認識しかない。

 僕たちの年代には、美少年で男なのに女装しシャンソンを歌い舞台
にも出演した人という、昔の古い感想を持つ。

 借りた本というのは、古本で「愛の話・幸福の話」という本である。

どうも妙齢のコンカツ(婚活)世代の女性に向かって書かれた本のよう
である。
 けれども、人生経験豊かな人らしく、言葉にきらりと光るものがあり
真実味があふれている。


            
               家族の本質
 
       家族は学校の教室や寮生活と同じ。
 
       ひとつ屋根の下にふたり以上の人間が暮らすのは

       忍耐と努力と諦め以外の何ものでもありません。

       放っておけば無味乾燥で息苦しくなってしまいます。

       それを救うのが文化。

       家の中にあふれる叙情つまりリリシズムは

       家族のオゾンになるのです。


 親子や家族とは血がつながっている関係をさすと思ってる人が多い
けれど、それは違います。
 看病したり、勉強を教えたり、送り迎え、遊んだり、憎んだり、ケンカ
したり、笑ったりという思い出の積み重ねが、親子や家族というものを
作っていくのです。
 プラスもマイナスも全部ひっくるめて、その思い出が家族なのです。

つい、昔のテレビ番組の「ひとつ屋根の下で」を思い出してしまいました。

 けんかばかりしている兄弟に、あんちゃん(江口洋介)が大声で熱く
説教する。

まわりには、小雪(酒井法子)、文也(福山雅治)、和也(いしだ壱成)など
の顔も見える。

 「家族っていうのはなあ! ひとつ屋根の下で、みんな集まって、同じ釜

  のめし食って・・・ 今日はこんなことがあった、あんなことがあったって

 しゃべって・・・・ いっぱい思い出を作って・・・暮らすもんなんだよう!!」

 うろ覚えで、詳細は間違っていると思うけれど、こんな感じだった。
 
何やかやいいながら、「家族」っていうのも結構たいへんである。
          


 
 

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March 10, 2009

「芦屋ロックガーデン」へ登山

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            荒地山


         1月に京都・愛宕山に登った。
         その時の山友達との会話である。

   T   「今度、六甲山のロッククライミングしない?」

 かずぼう 「ロッククライミングですか?恐そう・・・」

   T   「ちょっとだけよ!」

   S   「そうだよ。 子供のときの近くの山遊び程度さ。」

   T   「じゃあ、決まりね!」

 かずぼう 「よろしくお願いします!」

  S  「面白いよう!わくわくドキドキの山登りだぜ!」


 ということで、8日の日曜日に「芦屋ロックガーデン」へ登山と相成った
わけである。 

 前線の北上で、天候が心配されたが、徐々に好転し、当日は絶好の
山登りとなった。
 
 「芦屋ロックガーデン」というのは、大正末期から昭和初期にかけて、
日本初のロッククライミングクラブR.C.Cの人たちが、トレーニングを
積んだ記念すべき場所なのだそうである。

 地獄谷、高座谷を経て荒地山へ向かう。
 
最初は、水の流れる沢に沿って、岩場を登ってゆく。

 「岩場を登るといったって、数メートルしかないわよ」と言ったのはTさ
んだが、その数メートルが、かずぼうにとってはけっこうつらい。 

 何しろ日ごろの運動不足の上に、学生時代から14キロも太ってしま
い、いまだにダイエット失敗のままである。

 体を持ち上げるのがつらい、重い・・・。
腕力も自慢できるほどではないし、足を腰くらいまで上げないと岩のくぼ
みに届かない所もあり、四苦八苦である。

 しかし、新しく買った登山靴、万全の装備の手前もありがんばる。
しばらく行くと、眼下に神戸湾が望まれる。
 新神戸空港もはっきりと見えた。
神戸の町がすぐそこに見え、ちょっと行くとこんなところに来れるとは、不
思議な気がする。

 2時間くらいかかったろうか。
かずぼうのためと写真撮影に時間がかかり、スローペースである。

 それでも、荒地山のテラスでの昼食は、絶品でおいしーい!!!
隊長のSさんの手作りの卵、チーズ、かまぼこのスモークや生ハム、オイル
サーディン、レタスをフランスパンに挟んでのサンドウィッチ・・・。
 缶ビールでの乾杯!の声が空にこだまする。

至福のときを過ごしたのである。 

 山登りの魅力は、頂上の「乾杯」と「美味しい食事」それに、一番自然を満喫
できるところなのかなと思うことしきりである。

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 (画像のクリックで大きくなります)

 今回は、天候にも恵まれ、良い汗がかけたことと、コバノミツバツツジ
も見れたし、野生のイノシシにも逢えたし、自然のいい景色も満喫でき
すばらしい山行きでした。

 隊長のSさん、それに仲間たちにお礼を言います。
ありがとうございました! 

     P・S

山登りの道すがら、仲間たちとのおしゃべりはまた楽しい。
その時々に起こる疑問点を質問しあい、答えあう。
 お互いに知識の披露となることもあり、少しは頭が良くなることもある。
時に、誰もわからないこともあり、帰って調べるわけである。
 そのいくつかを紹介しよう!!!


 Q1. 「猪」の語源は何か?
     
     「猪」は、本当は中国語では「ブタ」をあらわし、「イノシシ」は、「野猪」
     である。
     「シシ」は肉のことを指す。
     「イノシシ」は、ブタの太ってきて充実し、群居する性質に注目した命名
     であるという。
    

 Q2. 「猪」は何を食べて生きているか?
     
      植物の地下茎や果実、たけのこなどである。
      昆虫類やミミズ、サワガニ、ヘビなども食べるが、動物食としては全体
      の一割くらいである。

 Q3. 「猪」のオスとメスはどう違うか?
      
      メス、オス共に、発達した牙を持つ。
      もちろん、体格も牙もオスのほうが大きい。
      しかし、牙は1歳半くらいにならないと確認できない。
      確定診断は、やっぱり性器を見るしかないだろう。
      
        

 Q4. 「神戸」は、なぜ「こうべ」なのか?

     「かんべ」のなまったもので、「かんべ」は、神社領をあらわす言葉である。 
     社領神社である生田神社に由来する。
     生田神社に奉仕する「民戸」(民家)があったことからだそうである。

 Q5. 「登る」の漢字ができた由来は何か? 

     「登る」の、「癶」は、両足のそろうて前に向かう形で、「豆」は踏み台を表す。

 Q6. 「六甲山」の名前の由来は何か?

     名前の由来は、いつもの如く諸説あるらしい。
     ひとつには、大和朝廷の神功皇后が国家鎮護の祈りとして6つの甲冑
     を埋めたことからという。
   
     ふたつめには、「武庫の山」から、「むこうの山」~「六甲の山」~六甲
     山」となった。
     または、「向こうに見える山」~「向こうの山」~「六甲の山」~「六甲山」
     となったというのもある。

     みっつめには、万葉集の頃、「椋」(むく)の木が多かったから、「むくの
     山」~「むこの山」~「六甲山」となったという話もある。

     まだまだ諸説あるが、めんどくさいのでもうやめる。

 Q7. 「六甲山」はどのようにして山となったか?  

     六甲山地は、活断層の運動による隆起でできた山で、約9~8千万年
     前の花崗岩で作られている。
      (「六甲山」という名称はなく、西宮市、芦屋市、神戸市の北に連なる
        山地の総称である)

     芦屋断層で六甲山側の地塊がのしあがったもの。
     芦屋断層の手前に甲陽断層、大月断層が並行する。
     これらの逆断層によって階段状に隆起したのが六甲山である。
     六甲山をつくる花崗岩は、火成岩の一種で隆起を構成する岩石のうちで
     一般的なものである。
     (火成岩とはマグマが冷えて固まったもの)
     結晶粒子が大きく、鉱物結晶の熱膨張率が異なるため、温度差の大きい
     ところではボロボロになり風化しやすい。 
      
 

 Q8. 砂防堰堤とは何か?

      砂防ダムともいわれるが、渓流に設置される土砂災害防止のための
      設備である。
      ダム高は10m以上で、それ以下は「床固工」(とこがためこう)といわ
      れることもある。
      


 Q9. 「魚道」(ととやみち)とは何か?

     有馬温泉に神戸(魚崎)で取れた魚を運ぶために江戸時代に作られた道。
     六甲山の最高峰まで続いているという。

 Q10. 「有馬」の地名の由来は何か?

      アイヌ語の「アリマ」から、「燃える谷」という意味である。
      また、日本の古代語では、山を「アリ」と表現した。
      「有馬」は「山間の土地」という意味を表す。
      (昔は、「有馬」は、「有間」だったという)


 
 Q11. 「六甲髄道」とは何か?

      「六甲トンネル」という意味で、古いトンネルには中国語と同じ「髄道」
      という言葉が使われる。 


             以上・・・・・文責「かずぼう」

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March 05, 2009

寺田寅彦のエッセイ

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            石垣と赤い花

 寺田寅彦氏(1878~1935)は、明治から昭和の初期まで生きた
物理学者で俳人でもある。
 夏目漱石と親交があり、小説「吾輩は猫である」の作中人物:水島
寒月や、「三四郎」の野々宮宗八のモデルといわれている。
 彼の名前「寅彦」の由来は、寅年だったからとか・・・。
骨腫瘍で、57歳で亡くなったそうである。

 彼が、友人の俳句雑誌「柿渋」の巻頭に連載したというエッセイが
おもしろい。

最初に、こう記す。

 日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、唯一枚の硝子板(ガラス)
で仕切られている。
 この硝子は、初めから曇っていることもある。
生活の世界の塵に汚れて曇っていることもある。


 昭和9年2月の「渋柿」の、「曙町より(18)」のエッセイである。


 このごろ朝が寒いので床の中で寝たままメリヤスのズボン下をはき、
それから、すでに夜じゅう着たきりのシャツの上にもう一枚のシャツを
これも寝たままで着ることを発明し実行している。

 今朝はよほど頭が悪かったと見えて、てさぐりで見当をつけておいた
にかかわらず突っ込んだ右の脚は間違いなくズボン下の左足に入っ
ていた。

 それからシャツも具合が悪く、おまけにチョッキのボタンは互い違い
になる。(かずぼう注)

 そんなことでよくお役目がつとまると、ある人が感心する。
自分も感心する。
 しかし、こののろまのおかげで30年の学窓生活をつづけてきた。

ものぐさのおかげで大臣にも富豪にも泥棒にも乞食にもならずに
すんだのかもしれない。

 自分は冬中は半分肺炎にかかりかけている。
ちょっとどうかすれば、肺炎になりそうである。
 
 たった一晩泥棒かせぎに出たら、ただそれだけでまいってしまう
であろうと思う。
 泥棒のできる泥棒の健康がうらやましく、大臣になって刑務所へ
はいるほどの精力がうらやましく、富豪になって首をつるほどの活
力がうらやましい。(昭和9年2月)


 ほんと、そうですよね。
向き不向きがありますし、適材適所、得意不得意、好き好き・・・。

 かずぼうも、売れない貧乏芸術家が一番似合いそうです。。。


 

 
 

 

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March 03, 2009

「醒睡笑」から

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犬との散歩のとき、国道沿いのボーリング
場近くに、一本の桃が誇ったように咲いて
いました・・・・・・・ もうすぐ春です。

 
 
 「醒睡笑」という江戸時代前期の笑話集がある。
京都の浄土宗の僧侶・安楽庵策伝が、庶民の間に流行していた話を集めた
ものという。
 落語の原点ともいわれている。


その中のひとつに、こんな話がある。


 義経、東国下向の時、一夜の宿を借りられけり。

 弁慶、あるじの女房に、「子はいくたりそうろうぞ」と問えば

 「てての子6人、母の子6人、合わせて9人そうろう」と答えしを、

 なんとも当座にあたらず、

 明けの日も案ずるとて、弁慶道を7里あゆみおくれたるとなん。

  「現代語訳」


  弁慶が、宿の奥さんに、「お子さんは何人ですか?」と聞いたら、

  「ハイ、父親の子は6人、母親の子は6人、併せて9人でございます」
 
  と答えた。

  弁慶はさっぱりわからない。

  翌日、出発したが、あれこれ考えているうちに、一行から30キロ近く

  遅れてしまったというお話である。

 わかるかな?

 わかんねえだろうなあ・・・。
  
 
 
 

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