「再び座禅会参加」

福聚寺
かずぼうは元来 ”貧乏性”なのか、古本屋が大好きである。
この間は10年ほど前に発行された、ディヴィッド・クンツ著「急がない!
ひとりの時間を持ちなさい」を見つけて買った。
帯には、「自分がどういう人間なのか、ほんとうは何をしたいのか知る
ために、わたしも、たびたび『立ち止まること』、つまり、何もしないひとり
の時間を持つようにしている・・・」と書いてある。
中身も、なかなか忙しすぎる現代人に警鐘を鳴らす言葉が並んでいる。
動きが速ければ速いほど、忘れることも多くなるのだ。
そしてついには、自分が忘れたということ自体も忘れてしまう。
何たることだろう!
しかし、もし立ち止まってみれば、再び思い出し、自分本来の姿を見出
すことができるのだ。
「立ち止まる」ことをわたしは、「現代の黙想」と呼んでいる。
あくせくしている人が行なう”瞑想”の一種なのだ。
だから、「忙しすぎる生活を何とかゆっくりさせたいのだが、単純で効果
的な方法はないだろうか」とさがしているひとにはとくにお勧めである。
ときもとき、犬の散歩の時に道端で、最近会わない友人に久しぶりに
出会った。
お互い近況を知らせあったときの会話。
かずぼう 「最近、西の桂林寺の座禅会に、時々行くんだ!」
友人A 「僕も行っているよ!東の福聚寺だけどね。面白いよ!」
ということで、その福聚寺の座禅会に行きたくなった。
近くにあるとは知らなかったので、好奇心が頭をもたげたというわけである。
桂林寺は、自宅より、車で15分、福聚寺は5分くらいのところである。
かずぼうの最近のテーマは、「立ち止まること」であり、「座禅」なのである。
早速、第2日曜日の14日の午前6時からの座禅会に出かけた。
どんなことでも初体験は緊張するものである。
わくわくドキドキは大好きである。
場所は前日に下見してあり、間違えることはない。
真っ暗で、昨日と打って変わって雨降りの道を急ぐ。
時折強い風が吹き、寒そうである。
小高い山の裾野のような場所に、そのお寺はあった。
お寺の玄関あたりに来ると、ガラッと戸が開き、住職らしき人が「Nさんで
すね!」と声がけしてくれた。
前もって電話していたからである。
「はいそうです!」
「どうぞ!あがってください」
住職は、意外と若い。
30代の後半か・・・40代の前半くらいまで・・・。
本尊横の座敷様のところに案内された。
靴下を脱ごうとすると、「今日は寒いから、靴下脱がなくて結構ですよ」と
結構ざっくばらんというか、おおらかである。
しかも、明るくいろいろとよくしゃべる住職である。
桂林寺は、禅寺でも曹洞宗、福聚寺は臨済宗で、座禅の方法も微妙に違う。
教えてもらいながら、チーンという鈴の音で座禅開始・・・。
15分くらいで一度休憩、そしてまた15分くらいの座禅。
外の雨の音とヒューヒューと風の音が耳につく。
集中、集中・・・と数息観を思い出し、腹式呼吸をゆっくりと行ないながら呼吸
の数を数える。
眼は半分閉じて、1メートル先くらいの畳の目を見るともなしに見つめる。
うす暗い中での静寂は、普段経験することが少ないために心地よい。
終わったら朝粥である。
「食事五観の偈」をとなえていただく。
住職と後3人の参加者はフレンドリーで家族的である。
おかずは、梅干に塩昆布と大根の香の物だけで質素この上ない。
おかわりは2杯までと言われ、せっかくなのでおかわりする。
今回は今年最後なのでと、コーヒーの接待もされる。
「この寺は、元は福寿寺と言ったんだが、いつの間にか福聚寺となり、同じ
名前のお寺が全国にたくさんあるんですよ。芥川賞をもらった玄侑宗九さん
が福住職をしておられるお寺が、同じく福聚寺といい、よく間違い電話がある
んです。この名前は観音経に出てくるんですけどね。お寺の名前はお経から
取ったのが多いんですよ」とは住職の弁。
その後、新年会のお知らせとか、連絡網つくりをしているのでと、携帯電話
の番号の交換などをして、和気藹々のうちのお開きとなる。
いい体験のできた日曜日の早朝だったのであった。


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