「関西文化の日」

西国三十三所・二十八番札所:成相寺
かずぼうは昔から、お寺とか仏像が大好きである。
なぜかはわからない。
もしかすると、祖父母の影響かもしれない。
それとも、人の力で及ばないものの存在、未知の力を信じているからなのか
よくわからない。
久しぶりの予定のない日曜日、近くの宮津方面へドライブした。
西国28番札所・成相寺に行くことにしたのである。
成相寺は昔行ったことがあるのかもしれないが覚えがない。
有名な”天橋立の股のぞき”をしたのは、成相山の頂上からか、遊園地のビュ
ーランドだったか、それも覚えがない。
とりあえず、車を走らせ、約1時間ばかりで宮津に着く。
少し道に迷いながら、まず成相山(569m)の頂上まで行く。
結構道はけわしく、でこぼこの山道は底をすりそうであった。
折りよく小雨もやみ、天橋立が一望の絶景は見事である。
ラッキー!!
天候がよければ、日本アルプスや白山が見えるそうであるがガスっていて
それは無理だった。
しばらく眺望を楽しんだ後、成相寺に向かう。
日本古来の山岳宗教の修験場である成相寺は、巡礼の人々でにぎわって
いた。
かずぼうは大体、お寺や美術館では、団体さんに紛れ込むのを常とする。
団体さんは、たいていガイドの人がいて詳しく説明してくれる。
それを、さも団体の一人のようについて行って説明を拝聴する。
そのときは、お坊さんが説明しておられた。
ご本尊の正観世音菩薩は秘仏として、普段お姿は見れないそうである。
つまり33年に一度の御開帳の秘仏ということらしい。
最近では2005年(平成17年)に御開帳されたという。
あと30年は、姿をあらわせられないのである。
「皆さんは、生きとられるかな?」と年寄りの団体を前にして物騒なことを言う。
それが、「皆さん幸運ですぞ!」と続き、にこやかなお坊さんの笑顔。
今年が、西国三十三所巡りのもととなった平安時代中期の65代天皇:花山
法皇が亡くなられて千年の御遠忌として「西国三十三所結縁総開帳」の行事
が平成20年9月から3年がかりで行われるという。
そのおかげで、現在成相寺の御本尊も拝めるというわけである。
かずぼうも後30年は待てなさそうだから、ラッキー!!!
じっくりと御本尊を眺めて手を合わす。
他には、左甚五郎の真向きの龍の彫刻、四天王、孔雀を背にした明王、閻魔
さん、千手観音などを拝観する。
お守りや念珠、ポストカード、仏画等も売られていた。
それが不思議なことに、売り子さんがいないのである。
お坊さんは朱印帳に筆で字を描くのに忙しそうだ。
トレイがおいてあって、勝手にそこで両替したり入金する仕組みのようである。
百円玉がうず高く積まれていて、千円札も数枚、五千円札も見える。
泥棒する人はいないのだろうかと心配になったが、仏様も見ておられることだ
し大丈夫だろう。
本堂を出ると、周辺は紅葉も美しく、写真をパチパチ撮る。

五重塔を見上げていると、小雨も降りだしてきたので、早々に曲がりくねっ
た坂道を退散する。
ふもとに、「京都府立丹後郷土資料館」が見える。
このたぐいは、かずぼう大好きで足早に駆け込む。
「丹後・丹波の薬師信仰」という特別展もしているようである。
受付で入場料の250円を払おうとしたら、「いりません!」と返された。
どうやら、昨日今日の11月15日、16日が「関西文化の日」というイベントで
関西の美術館、博物館などが入館無料となっているらしいのである。
またまたラッキー!!!
ここでも又、団体さんに出会い、ガイドさんの説明を拝聴する。
さらに、紹介のテレビ、DVDの無料で観れるサービスがあったので、喜ん
で椅子に座っての、じっくり拝観、拝聴・・・ゆっくり1時間は説明を楽しむ。
これで無料とは・・・笑いが止まらない。
特別展の「丹後・丹波の薬師信仰」もすばらしかった。
まじかで観る像高1メートル強の薬師如来坐像は迫力ものだ。
平城から長岡京平安京へと都が遷る8世紀後半から12世紀ごろ、日本
では薬師如来の霊験がとりわけ貴ばれ、国を護る仏として、また現世で
の苦しみをのぞく道を示す仏として、数々の彫像が制作された。
このことは、741年に、聖武天皇が国状不安を鎮撫するために全国68
ヶ所に国分寺を建立させたことが原因ともいわれる。
薬師如来は、現世利益をかなえ、病難厄除と病気平癒だけでなく衆生
の全般的な苦の救済を願うことを旨とする。
そのため丹後丹波両国では国境の山麓に平安時代の薬師如来像が多
く残されている。
その中で、両国境の山々を舞台とする、麻呂子皇子(まろこおうじ)の
鬼退治伝説が生まれた。
(鬼呑童子の鬼退治伝説とは、また違う物語)
その鬼退治の物語は、福知山・大江町の清園寺の縁起絵に詳しく描か
れている。
そのお寺は、かずぼうの縁戚関係のお寺で、よく知っている。
そういえば、和尚が、「うちに、立派な室町時代の縁起絵の三幅の掛け軸
があり、維持が大変なんですよ」とおっしゃっていたのを思い出す。
これがその掛け軸かア・・・。
その後も薬師如来信仰は続き、江戸時代には、この地域に七仏薬師如来
霊場を相当させ、その扁額が展示されていた。
その額は舞鶴の多禰寺の本堂にかけられていたという。
そのお寺の副住職はかずぼうの友人である。
そのコインシデンスには、またまた驚き!!!
都合、2時間くらい、その郷土資料館にいただろうか・・・。
充実した休日ではあったのである。


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