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October 27, 2008

「大山登山」

Daisen


 昨晩より階段の上り下りが少々つらい。
スキーを調子に乗って、バンバン滑った後以来の経験である。
普段の運動不足の「たたり」である。

 実は、昨日の日曜日に、中国地方最高峰”大山”(1709m)に登ったの
だ。

 大山は、NHKで実施された「日本名峰ランキング」で、富士山、槍ヶ岳に
次ぐベスト3に選ばれた山である。
 隠岐国立公園に指定されていて、古来「大いなる神の在ますやま」として
あがめられ、鎌倉時代から室町時代にかけては、3000人の僧兵を抱えた
とされる「大山寺」を抱えると、信仰の舞台として崇拝される。
 「だいせん」と、「山」を「セン」と呼ぶのは、ほとんど鳥取県付近だけであり
仏教伝来と関係があるとかいわれ神秘的である。

 天然記念物「大山キャラボク」や西日本最大のブナ林で有名だ。

前日は、午前中お仕事、昼から大阪出張の日帰りで、翌日の早朝4時ごろ
起きて5時45分出発という強行軍である。

 高速を使うと、自宅から登山口まで3時間余りで到着する。
週間の天気予報では、”曇り時々晴れ”であった。
 その後下り坂の様子は気がかりだった。
結局は、小雨混じりの出発で、現地は”曇り時々雨”のありさま。

 ゆっくりして、登り3時間、下り2時間の予定である。(夏山登山道)
さすが有名な山、登り道の階段はよく整備されている。
登山者も多い。
 老人から幼稚園、小学生、犬のクロラブまで登っている。

 整備されている登山道なのだが、これが意外と登りにくい。
普通の山道だと、自分の歩幅でペースは自分の思いのままに登れる。
 これが、階段をつけられると、「ここはこのくらいの歩幅で、この道に沿って
ここは足を大きくあげて登ってくださいね!」調に、命令される。
 するといっぺんに、ペースを崩されるのである。
だから登りやすそうで、結構つらい。

 紅葉のほうはいまいちで、それに上のほうになると暴風のために紅葉が飛
ばされて落ちてしまっているところも多いそうである。

 曇り空で、雨の時折降るというか、風に飛ばされて木々にたまった水が降り
注ぐ中、カッパで完全武装の僕たちは、汗びっしょりである。
 めがねが曇って視界不良、息はゼエーゼエー、足元濡れ濡れ、ああ無情。。

さらに、8合目から上は、木道の階段。
 本来の道の1mくらいかの上に、同じく1mくらいの幅の木で組まれた道が造
ってある。
 片方には、鉄柱が点々と立ててありロープが渡してある。
それが、北西の風なのかまともに吹き付けるみぞれ混じりの暴風雨にさらされ
ているのである。
 霧で視界不良、さぶいよう、お母さん!!!のなか、風は容赦なしにたたき
つけてくる。
 その中を黙々と数百メートルくらい、ただひたすらに歩く。
ジャンプすればたちまち強風に飛ばされてがけ下にまっさかさまのていである。
 何でこんなひどい目に遭いながら山に登るのだろう???

何とか頂上近くの山小屋に着く。
 暖かい・・・。
早速裸になって下着を着替え、一息つく。
 そして、仲間に用意してもらった昼飯にありつく。
自宅で取れた無農薬の米で作った海苔で包んだ握り飯、もうひとつは玄米握り、
みかんにビーフジャーキー、それにガスコンロで熱々の手作りの”豚汁”、これが
冷え切った体に最高のご馳走だった。
 それに缶ビールで乾杯!!

 極楽、極楽・・・。

山に登る理由は、考えると結構むつかしいというか、判然としない。
健康のためとか自然のすばらしさを観るためとか、達成感、肉体疲労の快感
とか理由付けをしてもすっきりしないのである。
 「そこに山があるから・・・」でごまかすしかないのかもしれない。

しかし、この雑然とした街中に住んでいると、手のつけられていない純然たる
自然は山々の中にしか残っていないのかもしれないと思うのである。
 それに、ドキドキの「非日常」や、やったぜベイビーの「達成感」は、何物にも
変えがたい。

かずぼうは、一生、登山翌日の「階段の苦悩」に顔をゆがめながら、性懲りも
なく、「明日の山登り」を夢見ることだろう。

 まあ、”幸せなやつ”ってことだろう・・と思う。

Daisennmedaru

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October 23, 2008

「ストレスが過多になると」

Sarusuberi

        隣の庭の百日紅
          いまはもう花はほとんど散っています


 昨今の政治の混乱、長引く景気の低迷、急激な技術革新と情報化、
少子高齢化、女性の社会進出、家族機能の崩壊の危機、価値観の
多様化などストレスの多い社会になってきているように思う。 

 最近、ちょっとした機会があって心療内科の達人、山本晴義先生に
インタビューをしたので、その内容をここに紹介する。

 (断っておきますが、インタビューというのは嘘です。かずぼう独特の
  ユーモアで、たまたまネットサーフィンしていて、先生のビデオを購入
  して、観て感動しここに紹介というわけです。でもこの設定のほうが
  説得力があるというか、面白いでしょう?)

山本先生に伺うと、悪いストレスにより、心身症として、動機、腹痛、下痢
パニック発作、頭痛、肥満、摂食障害などの症状が出る場合があるそうで
ある。

そういう症状が出ないようにするために、先ず医聖ヒポクラテスの言葉を思
い出して欲しいと言われる。

「健康とは、体と心を含む内的な力と外的な力との調和的バランス状態
の表現である」という定義である。
 そしてさらに、ヒポちゃんは、「毎日の生活の中に、運動、労働、睡眠
休養、食事の5要素をきちんととることがポイントである」と説いている。

 山本先生のいつも言われるのは、悪いストレスを抱え込まないために
つまりストレス解消法として、次の6つの”S,T,R,E,S,S” があるという。

Sは、Sport:スポーツである。いい汗をかくことが交感神経の刺激になり
ストレス解消法になるという。

Tは,Travel:旅行で、旅はとにかく楽しい。非日常なのである。

Rは、Rest、Recreation:遊びで、趣味やゲームなどを指す。

Eは、Eating:食べることで、食事を楽しむことは誰でも好きであろう。

Sは、Sleeping:睡眠で、眠たいときに眠れるのが最高である。
 私事で恐縮だが、かずぼうのおばあちゃんは、「朝寝は最高のぜいたくだ、浮世の
 馬鹿の起きて働く」といつも言っていた。そのくせ自分はいつも早起きだった・・・?

最後の、Sは、Singinng:カラオケであり、Speakinng:おしゃべり
であり、Sake:お酒であるという。
 納得、納得・・・。
かずぼう的には、Sexもはいるように思うが、どうだろう。
 (テレビ番組「セックス・アンド・シティ」の見過ぎかもしれないが)

山本先生のお話をお聞きして、なんだか賢くなったような気もするのである。

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October 22, 2008

「誤解」

Kosumosutoie


 誤解というのはよくあることである。
しかし、無知による誤解は、やはり恥ずかしいのである。

 「好色」という言葉がある。
「あの人は好色だねえ!」といわれると、「すけべえ」とか、「色気違い」とかの
意味だと思う。

 しかし、江戸時代の「好色」は、”性的なことに異常に関心があること”とは
違うようである。

 江戸時代に「好色」という言葉がありました。
「好色な人」とは決して、性的なことに異常に関心がある人、という意味では
ありませんでした。
 流行に敏感でセンスがよく、口の利き方も洒落ていて、人への気遣いも洗
練されており、教養があって、三味線その他音曲や絵画などの芸術・芸能の
能力も高く、恋心についてもよく理解できる、というような人をさしたのです。

 なるほどね、井原西鶴の「好色一代男」、「好色一代女」はそういう人たち
の物語だったのね。
 知らなかったです。
”やらしいこと”が書いてあるとばかり思っていました。(恥ずかしい)

 色(しき)という言葉は仏教でも使います。
「仏教辞典」によると、「形あるもの」の意味で、味やにおいや感触や眼に見
えるものなど、五感でとらえられるあらゆる物質のことです。
 絶えず変化し、やがて消滅するこの世のもろもろの現象のことです。
好色とは、とくにそのなかでも高度に洗練された音楽や絵画や文章や衣食
住を楽しむ事なのです。
 性関係を含む男女関係は、それらのひとつと考えられていたわけです。
つまり、”文化”です。
 文化は、欲望に人間的で伝統的なかたちを与えたものです。

          (法政大学教授:田中優子による)

そうなんだ・・・。
 「色即是空」も誤解していて、”やらしいこと”と思っていたこともあったもんね。
      (だって、漫画の中に、そう描いてあったんだから)
 
 恋愛の誤解は、まだ味のあることもあるが、知識の誤解は、ただただ恥ずか
しいのである。

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October 15, 2008

「夢をかなえるゾウ」

Ganesya1

   ガネーシャ好きのかずぼうの持っているゾウの像


 かずぼうは、流行にすぐ飛びつくことも多いが、あまのじゃくでベスト
セラーの本なんかが本屋の店先にうず高く積んであってもまず買わな
い。

 買わないといっても、誰かが「読まない?」といって貸してくれる場
合は別で喜んで借りる。

 この間は、行きつけの蕎麦屋で、店の片隅に「100万部突破やでぇ
~」と帯に大きく書いてある、水野敬也著「夢をかなえるゾウ」がおいて
あったのである。

 インドの富と知恵の庶民の神様:ガネーシャ好きのかずぼうとしては
少し気になっていた本である。

 ちょっと読みたくなって主人に「貸してくれ!」というと、「どうぞ」という
ことだったが、主人のかみさんはちょっといやな顔の様子。
 そこを強引に借りてきて、2日で読了した。

ごく平凡なサラリーマンが、「神様」を自ら名乗る謎の生物、ガネーシャ
の指南によって自分の人生を変えてゆく物語となっている。

 なぜか関西弁をしゃべり、禁煙できない、あんみつ好きの神様は人間
くさくて憎めなく・・・かわいい。 

 次々と有名人のエピソードを紹介し、金持ちになる、有名になる等の
夢の実現の方法を伝授する。

 いわゆるビジネス書によくある成功法則書、ハウツーものであるのだが
翻訳ものではないし、ユーモアを取り混ぜて、読みやすくなっている。
 こういう本がよく売れるという理由のほうが面白いところもある。

けれども、何かためになりそう・・・と思わせるところがいい。

 ガネーシャの最後の課題として、たくさん巷にあふれている成功書
を読んでも成功する人がいないのは、実践しないからだと警告する。

 さらに、ガネーシャは言う。

「成功だけが人生やないし、理想の自分あきらめるのも人生やない。
ぎょうさん笑うて、バカみたいに泣いて、死ぬほど幸福な日も、笑える
くらい不幸な日も、世界を閉じたくなるようなつらい日も、涙が出るよう
な美しい景色も、全部全部、自分らが味わえるために、この世界創っ
たんやからな」

 「世界を楽しんでや。心ゆくまで」

 といって去ってゆく。

 かずぼうの琴線に触れたひとこと。

 やらずに後悔していることを今日から始める。

ガネーシャは成功を望むサラリーマンの「自分」に言う。

 「みんな知ってんねん。やりたいことやって後悔せんような人生送った
ほうが幸せになれるてな。でもやらへんねん。何でや?それは、今の
自分と同じこと考えてるからや。収入。世間体。不安。同じやで。人を
縛ってる鎖なんてみんな同じなんや」

 頭の痛いこといわれてしまった・・・。

   先ず、とりあえず、この本を早く返しに行こうっと・・・。

P1030353

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October 08, 2008

「またまた座禅会」

Syoujinnryouri


 月に一度の座禅会に、またまた行った。
朝5時半からなので、4時過ぎには起きる。
 後が眠いのだが、行った日は、一日が長く、充実したと感じるので
頑張って行ったのである。

 5時過ぎと言うとまだ暗い。
少し霞がかかっている。
 秋も深まってきたようである。
15分ほど車を走らせると、桂林寺に着く。

 静かに道場に入る。
それほど寒さを感じないが、しんとした薄暗い道場は身が引き締まる。

例によって壁に向かって座る。
今回は、後ろに淡い明かりがあり、自分の影が壁に映る。
 少し妙な感じである。

この間は、わからなかったお坊さんが警作(けんさく)をささげもち歩く
姿が前の壁に影絵として見える。
 気配を全く感じさせないのは不思議?

時折、眠りそうになるのにカツを入れる警策の音が鳴り響く。
 後は時々鳴くからすの声しかしない。
静かである・・・。

 ・・・ドラの音や木魚の音で30分たったのを知る。

後は読経とお楽しみの精進料理の朝粥である。

 今日は、秘密裏にこの精進料理をデジカメで撮るのを前々から計画
していた。
 あたりをキョロキョロ見回し、お坊さんがいないことを確認しノーフラッ
シュで2枚ほど隠し撮りする。

 やったあ!

それが上の写真である。

 一番右がお粥さん。
その左上が、奈良漬け2切れに梅干半分、それに塩昆布2切れ。
 その下が、煮豆とほうれん草のおひたし少々。
その左が、野菜の煮たのと栗が一個。
 その上が、高野豆腐とかぼちゃが一切れづつ。

音をさせないように、静かにいただく。
 こんな食事ばかりだと、ダイエットには最適だなあ!といつも思う。

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October 05, 2008

「松尾寺御本尊・馬頭観音」

Batoukannon


 自宅から車で20分足らずのところに、西国第29番札所・松尾寺が
ある。
 今年は開山1300年を記念して宝物殿が建立され、第1回秋季展
が、この10月1日から11月3日まで開催されているという。

 あいにくの小雨混じりの天候だが、こういうときは人も少なかろう。
宝物殿の中には、本尊の木造漆箔の馬頭観音(江戸時代初期)を
はじめとして国宝である絹本著色の普賢延命菩薩(平安時代後期)
それに京都に修理に出されていて、やっと帰ってきた仁王像の内
口の開いたほうの阿形像(鎌倉時代初期)他たくさんの展示がある
というので興味津々で出かけた。

 山の中腹にある松尾寺は、今まで10数回は行っていると思うが
5分足らずの曲がりくねった山道は狭いところもあり結構きつい。

 やっと着いて駐車し、本堂に通じる石段を登り仁王門をくぐると
右手に真新しい宝物殿が見える。

 拝観料の800円は、ちと痛いが仕方がない。
ちょうど40歳ごろの男の人が受付におられた。
 目鼻立ちのはっきりしたりりしい坊主頭のこの方は、たぶん最近
松尾心空さんから住職を受けついだ息子さんであろう。

 ここぞとばかり、「馬頭観音がご本尊である由来は?」とか矢継ぎ早
にいろいろ質問した。

 かずぼうは、「馬」にこだわる。
なぜに「馬」なのか?
「馬」と言えば、「馬耳東風」、「馬の耳に念仏」、「馬齢を重ねる」、「馬
面」、「馬の骨」、「鯨飲馬食」とかいいことには使われないことが多い。

 そもそも馬頭観音の由来は、何なのだろうか?

 いろんな書物と総合すると、仏教において迷いあるものが輪廻すると
いう6種類の迷いある世界を「六道」と言うそうである。
その「六道」をそれぞれ救う観音様が存在し、「六道」のひとつの畜生道
におられるのが馬頭観音というわけらしい。
(「六道は、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道である)

 「馬」は、草をむさぼり食うので、人間の煩悩を食べつくして救済してく
れるのであろう。
道理で馬頭観音さんは、観音さんとしては珍しく忿怒すなわち怒って
いらっしゃるのである。
 「こら、畜生ども、しっかりせえ!」とばかり、衆生の無智・煩悩を排除し
諸悪を取り除く菩薩なのである。

 もともとは、インド神話に登場するヒンズー教の最高神のひとり、ビシュヌ
が馬に化身して、悪魔に奪われたインド最古の聖典(ヴェーダ)を取り戻し
たという説話が起源らしい。
 その後、農家での農耕馬、旅をするときの乗り物としての馬の無病息災
を祈る民間信仰であったり、海で遭難したときに天上を翔ける白馬に救わ
れたという説話からも信仰の対象となったようである。

 松尾寺では、中国から渡来した威光上人が青葉山中の松の木の下で
修行中に馬頭観音像を感得して、草庵を造り、観音像を安置したのが創始
とされているともいう。

 その上人が、ふたつの峰がある青葉山を、自国の馬耳山を思い出したと
いう説もある。
 なるほど、青葉山は西峰と東峰のふたつの峰があリ、馬の耳に似ていな
くもない。

 もうひとつの説は、馬頭観音縁起として平安時代のこととして伝えられて
いるらしい。

 一条天皇の御代のこと、神野浦(こうのうら・・・高浜町)に春日宗太夫と
いう漁師がいた。
 出漁中に嵐に会い鬼界ヶ島に流されたが、現れた白馬に助けられて神野
浦に帰り着くことができた。
 いぶかる村人を連れて浜に出ると、馬の足跡が山に続いていた。
跡を追うと、荒れ果てた松尾寺の萱原に浮木だけが残されていた。
 宗太夫は馬頭観音に助けられたと知り、その木で像を刻んだ。
この話が朝廷に聞こえ松尾寺は復興されたという。

 その後、青葉山は漁に出るときの目印になり、若狭湾周辺の海人たちの
また街道の馬方たちの無事を祈る対象になったのであろう。

 まあ、いろんな言い伝えがあるのだろうが、馬頭観音のおおかたの由来は
理解できたのである。 

ずいぶん前からの、かずぼうの疑問のひとつであり、ようやく解消でき、胸の
つかえがおりた思いである。


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