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July 29, 2008

「道具を使うサル」

Amagaeru2

  庭にいた大きなアマガエルで、5センチはありました


  夕方プールへ行ってひと泳ぎ、その後夕食に缶ビールを飲んだら
眠たくなってひと寝入り。。。

 眼が覚めると、偶然にもテレビでは、NHKスペシャル「南米の驚異・
道具を使うサル」をやっていた。

 これがめちゃめちゃおもしろかった。
南米・ブラジルのフサオマキザルは、石で握りこぶしくらいの大きさの
ヤシの実を割ってその実を食べるのである。
 その技術は、決して他人に・・・いや他猿には教えない。
見学することは許され、日本の昔の徒弟制度みたいに他猿は「見てお
ぼえる」のである。

 「見ておぼえる」といっても、簡単ではなく、石の大きさ、土台の種類
石のヤシの実に当て方にコツがある。
 自分の頭くらいの大きさの石を自分の頭くらいの高さまで持ち上げ、
2本足で立ち、自分の体重をかけるようにして、やっと割れるのである。
 しかも、台には大きな平たい石や倒木が使われる。
子供には無理で、体重が2キロぐらいなって初めてできる。
 そして、石の重さは体重のの80%以上の重さがいり、石を両手で持
ってヤシの実にぶつけるには太もも、背中の筋肉の充分な発達が必要
となる。

 このことによって、ここのサルは2足歩行が多くなるようであり、これが
人類の進化と関係するとフサオマキザルの研究者は言う。

 チンパンジーでも、うまく2足歩行できないが、ここのフサオマキザルは
上手なのである。
 背骨は人間のようにS字形に湾曲し、実を割るために重いものを持って
立つことが背中の筋肉を強化し、バランスをとりやすくして直立2足歩行
につながっているのだという。
 しかも、失敗しても失敗しても、決してあきらめずに、何度も繰り返す、
若いサルたちが、道具を使うサルとしての生きながらえる秘訣となる。

 「フサオマキザルの研究は、”人類の進化の謎”を解き明かしてくれるか
もしれません。 そして、このことは生き物が持つ限りない可能性を教えて
くれているのです・・・」というナレーションでこの番組は終わった。

 サルは生きるために・・・食うために、工夫して手を使うようになり、それ
が”直立2足歩行”を可能にしたのね。
 現代、人間は、手を使うことによって技術、文化を進歩させ、芸術にさえ
も昇華していった。
 その手で悪いことも良いこともたくさんしてきたのである。
 

 
 


 

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July 28, 2008

「花火大会」

080727hanabi


 在所で恒例の花火大会があった。
自転車で5分も走れば充分の海岸べりが会場である。
 この花火を見るたび、「本格的な夏が来たんだなあ!」といつも思う。

いつも雑踏を嫌って、会場までは行かずに自宅の屋上から観賞する。
 
 「花火」は、黒色火薬を松脂(まつやに)などで固めて紙などで包み、
点火して燃焼させ、音、光、炎色、煙などを観賞するものである。
 色や輝きは金属の炎色反応によるもので、球形の花火は日本だけ
のものであるようである。

 「花火」と言えば、ドカーン!と上げて景気のいいものであるが、「線
香花火」となると、わびしさが漂う。

 人生は線香花火・・・待つときはじっくり待つ、無理しすぎてポトッと
落ちてしまえばもうおしまい。

 「あらあら・・・」と言う間に消える花火かな

「冬の花火」という言葉もある。
 冬に花火大会はママあるのである。
スキー場でとか、雪祭りなんかのときに。
 ドカーン!と華やかそうであるが、ちょっと静かでものさびしい。
音もこころなしか小さく聞こえる。

「冬の花火」という題名では、古くは太宰治から、花柳幻舟、渡辺淳一、
村上龍などの作家が使っているが、彼らのその題名の本は読んだこと
がない。

 80’年代かなんかのテレビでのサントリーオールドのCMコピーに、
「恋は遠い日の花火ではない」というのがあった。

 いろいろとシリーズものであったが、よく話題になったのは長塚京三の
出ているのであったように思う。

会社帰りの雑踏の中、課長と若いチャーミングなOLの会話である。

 課長「みんなどこかに行くみたい・・・君は行かないの?」

 OL「若い子はもういいんです・・・」

    

たったそれだけの会話であるのだが、世のお父さんは胸をドキドキ、ドン
ブラコ、ドンブラコとさせたのであった。

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July 16, 2008

「スタグフレーション」

Akaibasu

       京都市内の赤いバス


 昨日の続きみたいであるが、スタグフレーションという経済用語がある。
現在の日本の経済をあらわしているという。(世界的にも同様の国も多いが)
 
 景気が悪化しているにもかかわらず、インフレが進行している状態をいうらしい。
不況(Stagnation)と物価上昇( Inflation)の合成語だという。

株価は下落の一途をたどり、不況感が増している。
 ガソリンや小麦、バター、チーズ、ワイン、紙・・・が価格上昇し、生活不安も一
気に高まっている。
 ガソリンの値段の上昇は著しく、さまざまの流通費用が上がるのは当然だから
何でも物価の上昇原因になる。(何でも今秋にもさらに値上げがあるらしい)
それゆえ消費者の購買意欲や預貯金の価値が減少を続けている。

 年金生活者はたまったものではないだろう。
ではその対策はということになると・・・

 1、お金を目的に応じて、「守るお金」「増やすお金」「楽しむお金」に分ける
   
    「守るお金」は、病気などの急にお金がいるときのことで、国債や預貯金
     で持っておく。
    
    「増やすお金」は、リスクを承知で、大きなリターンを求めて投資する。
     これがなかなかむつかしい。
     株や投資信託への投資であるが、株は今調子が悪いし、投資信託は
     何やかやと手数料が要り、その上元金の保証はない。
     かといって、競馬、パチンコなどのギャンブルは手を出しにくい。
     昨日からの発売の夢の宝くじ(サマージャンボ)は、初めから手数料が
     半分くらいは取られているし、率が悪いことはなはだしい。
     小額で多額の投資ができる外国為替取引のFXにいたっては典型的な
     ハイリスク・ハイリターンでこわくて近寄れない。

     「楽しむお金」は、長期投資をして、じっくりと値上がりを待つということ
      である。(高齢者にはどうかな)
      変額保険や変額年金もいいだろう。(インフレに対応するので)
      

 2、株式投資の「成功の秘訣」をマスターする

     長期投資、分散投資の原則を守り、生活費を投資しないこととか、損を
     したときの”引け際”をうまくするとか、売る時期は最適の時期にとか当
     たり前のことしかない。

         (金融評論家:藤原美喜子氏による)

 結局は、「入るをはかって、出ずるを制す」みたいな当たり前のことに行き着く。
将来のことは予測でしかなく、はっきりしたことはだれにもわからない。
映画「風と共に去りぬ」のスカーレットの名言ではないが、「明日は明日の風が吹く」
といったところでしょうか。・・・結論?

 余談だが、この名言は名訳で、原文は・・・”Tomorrow is another day.” らしい。
「明日は、別の日である」ではあいそないですよね。

 さらに余談ですが、映画「アパートの鍵貸します」という、1960年の古い白黒映画
があったが、この原文は、”The Apartment”であることを最近知った。
 「アパート」というわけで、身も蓋もない。
     (ビリー・ワイルダー監督、ジャック・レモンとシャーリー・マクレーン主演)

映画の翻訳家というのでしょうか、字幕つくりには相当悩むんでしょうねえ。

 


    

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July 15, 2008

「外来語」

Nutria2

     近くの寺川に生息する外来動物ヌートリア

 外来語、すなわちカタカナの言葉には悩まされる。
たとえば、パソコン用語がそうだ。
 インターフェイス、ファイナリング、デバイス、デレクトリ、レジューム、
モジュラー・・・などなど、頭が痛くなる。
 何回意味を調べても覚えられない。
日本語に変換すれば良いかというと、適当な日本語がないし、あった
としても、余計にわかりにくくなるときがあるのである。

 パソコン用語だけでなく、本を読んでいても、特に対談などでは、話し
言葉でカタカナが多くて、外来語を使って読者を煙にまくのが目的かい
な?と思うことさえある。

たとえば、カタルシス、メタファー、ルサンチマン、アンビバレンス、イン
タラクティブなどである。
 
何度目か忘れるくらいだが、辞書でもう一度調べる。
 てじかに「新名解:国語辞典」があった。

 カタルシスとは、

1、劇、特に悲劇を見ることによって日ごろのストレスを解消し、さっぱ
   りした感じになること。
 2、自己の直面する苦悩などを表出することによってコンプレックス
    を解消すること。

   要するに、何かでストレス解消することかな・・・。


 メタファーとは、

 あっ、1995年の新名解にはない!古いからなのか?
まさかのときの”パソコン頼り”で、ネットで検索する。

 「大辞林」によれば、比喩の一種で、「暗喩」「隠喩」のこと。
「~の如し」とか「~のようだ」などの言葉を用いない比喩。
 「雪の肌」とか「ばらの微笑」の類。

要するに、パソコンで言えば、デスクトップの「ごみ箱」というのはメタ
ファーらしい。
 わかったようなわからないような・・・。


 ルサンチマンとは、

 これも新名解は古くてないので、ネットのウィキペディアによると、

哲学用語で、主に弱い者が強い者に対して憎しみを抱いていること
をいう。
 嫉妬や羨望と結びついた憤りや怨恨の感情である。
ある感情を感じたり、行動を起こしたり、ある状況下で生きることの
できる人に対して、それができない人が感じる(自己欺瞞に基づいた)
憎しみや非難の感情。

ちょびっとわかりにくい・・・。
 「引きこもり」や「無差別殺人」はルサンチマンと関係があるのだろ
うか・・・。


 アンビバレンスは、新名解にあったぞ!

同一の対象に対して作用する全く相反する感情の併存と、両者の間
の激しい揺れ。
 例として、父親に対する愛と憎しみなど。

「私の彼に対するアンビバレンスな感情の存在」という使い方なのであ
ろうか。
 好きなんか嫌いなんかどっちだい!!!


 インタラクティブとは、

 本来は、「相互作用的」という意味であるが、パソコン用語では、「双
方向的」とか「対話的」という意味で、パソコンの画面の指示に従って
ユーザーとパソコンが対話しているように操作すること。
すなわち「双方向的」に情報のやり取りをすることであるという。

 それなら、ブログのコメントは「インタラクティブ」と言えるのだろうか。
これもよくわからないカタカナ語なのである。

 「外来語辞典」というのを買うか、「新名解国語辞典」の最新のを買お
うか・・・それが問題である。


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July 03, 2008

「ツバメが電線に・・・」

Ikarisou2

             イカリソウ


 友人と用があって、京都に電車に乗って行った。
乗換えで、駅のホームで次の電車を待っていた。
 ツバメが電線に止まっている。
「なぜツバメは感電して死なないのか?」昔からの素朴な疑問がわいた。

 かずぼうは自慢じゃないが、物理が苦手である。
生物とかは大好きで、目に見えて動くものが好きだ。
 物理は、めだって目に見えず、”幽霊”みたいで好きになれない。

友人に尋ねると、1本の電線だけをつかんでいて、ほかに体が触れていなけ
れば感電しないそうである。

 「だって、電流が流れていないもの。
電流というのは、電位差があって流れるもんだよ!
 電線のほうが電気抵抗が小さいから、わざわざ体のほうを通らないだろ!
それにさあ、電線って、上下2本あるだろ、上のほうは下の電線を吊っている
だけなんだよ。
 もともと電流なんて通っていないのさ!
その電線にしたって、人間がジャンプして鉄棒のように両手でぶら下がっても、
大丈夫・・・。
 もし、ツバメが足が超長くて、1本は電線に、他の1本が他の電線に届いた
ら、また他の1本は地面についていたら感電死するんだよ。
 
 ただね、実際はありえないだろ。
しかし、大きな鳥・・・たとえばカラスとかオジロワシとかはね、電線に止まっ
ていて、大きく羽ばたいたとするでしょう。
 そのときに、他の電線や物に触れることがあるわけね。
それで、感電して大怪我したりすることはママあるんだよ」

 へえー・・・。 よく知っているなあ!感心するぜ。
説得力あるなあ!!!
 賢い友人は持つべきものである。

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July 01, 2008

「久坂葉子について」

Akaibara


 ちょっと前の京都新聞の文化欄に夭折の天才女性作家:久坂葉子に
ついて紹介してあった。
 かずぼうは名前さえ聞いたことがない。

何でも、今から60年前に活躍したひとらしい。
 本名は川崎澄子(1931~1952)で、曽祖父は川崎造船創立者:川
崎正蔵で、父が川崎重工取締役で名士の出である。
 昭和6年に神戸で生まれ、18年に神戸山手高女入学、ピアノ堪能にて
23年卒業。
 昭和24年に、同人誌「VIKING」に参加、発表した「ドミノのお告げ」が
第23回芥川賞候補となる。
 27年12月31日の大晦日の日に、阪急六甲駅で、三宮発特急電車に
飛び込み自殺。
 ・・・21歳だった。

好きだったのは、カフェ(要するに飲み屋で酒好き)、オシャレ、ゴールデン
バット(変に苦い安物のフィルターなしの紙巻煙草)であったそうな。
 
 恋多きチャーミングな女性だったが、純愛、正義、モラルには、ほど遠い
ような言動に、かえってピュアなものが感じられたという。

短編小説が多いが、詩にも才能を発揮するというか、かずぼうは詩の方が
好きである。

 彼女の詩のひとつにこんなのがある。

 「明日はいい子になります」といった日はいつだったのだろう・・・
神様、私はお約束を破って、
 こんなにこんなに罪深い女になってしまいました  (17歳のときの詩)

  さらに、

     「こんな世界に私は住みたい」

      こんな世界に私は住みたい

         肩書きもいらず 勲章もなく

       人はそれぞれ はだかのままの心でもって
     
     礼節だけはわきまえて
        
       男も女も仕事をし

     男も女も恋をして
      
        ひとりひとりの幸福を

           ひとりひとりのねぎごとを
         
               心にそっと小さくもって 

       一生かかって みずからのため しつくす

     こんな世界に私はすみたい

                (1949.6.18)


        「ねぎごと」って、祈ぎ事、願いごと、夢のことなのね。
     「みずからのために、しつくす」というのもいいねえ!


 また、小川和佑氏は、彼女に関してこんなことを言っている。 

 純粋・・・近頃では、ピュアなどと安直に言われるが、このいかがわしさに
皆気づかないのだろうか?
 純愛などというものは最もいかがわしい。
本当に醜悪なだけなのだ。
 とにかく純粋というやつは、往々にして悲劇(時には喜劇)に向かわせるし
人を破滅に導く。
 大体において、言葉の意味通り人は純粋でなんかいられるだろうか?
少しくらい不純なところがあったり俗っぽいところがなければ人としてとても
生きられるものではない。
 そういう意味では、久坂葉子は純粋であったのかもしれないが、純粋を突
き詰めていけば、自殺するか心中するか、テロリストになるしかないのだ。


 彼女は小妖精、小悪魔、性悪女、魔性の女と称されたが結局は自殺した。
そういえば、三島由紀夫、太宰治も自殺だった。
彼女の自殺は衝動的に見えるが、前から願望があり未遂もあったようである。

 「自殺」について、スリランカ出身の原始仏教者の長老のお坊さん:アルボ
ムッレ・スマナサーラは、こう言っている。

 「何をやっても空しい」と感じて、自殺する人がいます。
「何をやっても空しいと感じる自分は、すごく高次元で世の中を見ているので
はないか。仏教で言っている”超越した智慧”があるのではないか」と思うの
です。
 でも、本当なまったくそうではないのです。
こういう人々は、希望がないどころか、あまりにも大きな希望を持ちすぎなの
です。
 ですから、人生が空しいなどという人への答えは、「あなたは人生に大きな
希望や目的を抱きすぎている。だから何もできないんだ」ということです。
 まずはそれを理解してもらう必要があります。


自殺の理由としては、「空しさ」だけではないとは思うが、かなり当たっている
と思える。
 世の中、酸いも甘いもあり、おばあちゃんがよく言っていたように「ふたついい
ことないものよ!」なのかもしれない。 

 

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