
ウィークデイの夕飯時、僕はひとりで、とある割烹のカウンターにいた。
その店は、海辺の近くとはいえ、超新鮮な魚介類を出すので有名である。
頑固で寡黙な大将なのに、結構はやっていた。
といっても、少々値が張るので、僕もたまにしか行けない。
カウンターで、僕は、酢牡蠣を肴にヌル燗をちびちび飲んでいた。
お客は、まだ時間が少し早いせいか、少し離れたところに2人連れの若い女
性客がいるばかりである。
適当にみつくろった刺身の盛り合わせを肴に、地酒の新酒・「舞鶴」を冷で
飲んでいるようである。
「舞鶴」は、この春とれたばかりのハクレイ酒造の日本酒で、冷やで飲むと
白ワインのような香りと、さわやかなのど越しで人気が高い。
客は他にいなくて、聞くともなしに2人の会話が耳にはいる。
髪の長い、大きな瞳のクリクリとよく動くチャーミングな女性の方が、連れ
の女性に静かに話をしていた。
「私、大病をして長い間入院生活をしていたのね。することがなくってさー、
本ばかり読んでたの・・・。私、吉田兼好の”徒然草”って大好きなの。
意外でしょう? 特にね、第150段ってすごく好きなのよ!」
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人知られじ。うちう
ちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、
かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。・・・・・・
僕は、とうとうと、空で淀みなく語る彼女の美しい声に、聞きほれていた。
突然、近くにいて仕込みをしていたはずの大将が口を挟んだ。
「すみません!今の言葉をもう一度教えてください。うちの若い板前に聞か
せてやりてえんです・・・お願いします!」(なぜか江戸弁?)
大将は、どこからか持ってきた新聞の広告の後ろに、鉛筆を手に構える。
彼女は恥ずかしそうに、もう一度徒然草の第150段を復唱する。
僕も思わず聞き入っていた。
現代語訳すると、その150段はこういう意味である。
芸能を身につけようとする人は、「まだうまくできないうちは、なまじっか
人に知られまい。内々でじゅうぶんに習ってから人前に出るようにしたら
たいへん奥ゆかしく思われるだろう」とよくいうようだけれど、このようなこ
とをいう人は、一芸も習得することがない。
まだまったくの未熟なうちから、上手な人のなかに混じって、けなされ
ても笑われても恥ずかしがらず、平気で押し通してけいこに励む人は、生
まれつきの天分がなくても、けいこの道で立ち止まることなく、また勝手
気ままにすることなく、年月を送るから、器用だがけいこに励まない人より
も、最後は上手といわれる地位に達し、人徳も備わり、人に認められて、
並ぶ者のない名声を得るのである。
天下に聞こえた芸能の達人といえども、はじめのうちは下手だという評
判もあったり、ひどい欠点があったりしたりもしたのである。
けれども、その人が、芸能の規律を正しく守り、これを重んじて勝手気ま
まにしなければ、世の大家として、万人の師となることは、どの道において
も変わるはずがない。
少し長くなったが、ありがたい兼好さんのお話である。
なにごとにも当てはまる名言であると感じた”かずぼう”であった。
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一ヶ月も経ったろうか、久しぶりに、その店に行くと、板場の奥に達筆で、
額に入れた「徒然草・第150段」の言葉が飾ってあった。
大将によると、毎日、若い板前に、仕事の前に声を出して読ませている
という。
そして、その若者に、鯛の刺身を僕の目の前で作らせる。
彼の手元が、心なしか震えているように見えた。
しかし、彼の顔は緊張しながらも、喜びに満ちていた・・・。
P・S
宮本輝著「約束の冬」からの、かずぼうの脚色、いや、創作・・・いや
”パクリ”であることを正直に告白する。
現代語訳は、萩野文子著「ヘタな人生論より・・・徒然草」による。
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