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February 26, 2008

「イカの哲学」

Ika


 「イカの哲学」という新書は、本屋で何気なく手に取ったことがある。
”イカの哲学”というキャッチコピーに惹かれたからであった。 
 むつかしそうで、そのまま元に返した。

数週間後のこと、友人Kさんからメールがあった。

 中沢新一・波多野一郎著「イカの哲学」という本おもしろいから読んで
みてください。
 この波多野一郎さんの息子さんが僕の近所に住んでいて知り合いな
んです。

そりゃ、おもしろそうということで、早速本屋へ走り、その本を買った。
 
 その内容はこうである。

特攻隊の生き残りで、戦後アメリカの大学で哲学を学んだ波多野一郎
が、1965年に「イカの哲学」を出版した。
 この40年ほど前に出版されたこの本を若い頃読んだという多摩美大・
芸術人類学研究所所長・教授の中沢新一が感動し、新しい平和学とし
て提唱して、新たに「イカの哲学」を共著で最近本を書いた。

 波多野一郎は、アメリカの大学に留学していたとき、夏休みのアルバ
イトで、漁港でイカ漁の手伝いをする。
 そのとき、魚網に捕らえられた瀕死の多くのイカに思いをはせるときに
自分が特攻隊で飛行機に乗り、まさに死なんとしていたときの状況を思
い出す。
「自分たちはまさにこのイカたちと同じ状況にあったのだ!」
 ”個よりも種を重視する思考”すなわち、個人よりも国家を重視する思考”
イカの個のことより、人間の食料としてのイカのことを・・・。
      (この辺は僕の解釈の間違いかもしれない)

 アメリカ文明は、人間中心主義すなわちヒューマニズムを重視する。
 人間こそが特権的存在だという。
だから、食料の確保のために近代技術でもって、大量にイカを捕獲する。

波多野一郎は、このヒューマニズムこそが、現代戦争の根本的原因だと
直観する。
 平和の鍵は、イカをモノとして扱うのでなしに、お互いの実存を認め合う
ことが必要という。
 相異なった文化を持ち、相異なった社会に住む人々がお互いの実存に
触れ合うということが”世界平和の鍵”であるというのである。

 国際的な平和構築や地球環境の悪化といった人間が直面している問題
の根源に心ある存在を単なるモノとして扱う文明に問題があることを見抜い
たのが波多野一郎だと、中沢新一は言うのである。
 
 ”かずぼう”も、戦争の原因は、人間中心主義の一神教にあると思う。
原始社会に発するアミニズムは、生物・無機物の森羅万象すべてのものに
霊魂は存在すると説いた。
 仏教も同じようなことを言っている。
その辺に”世界平和の鍵”があると思うのだが・・・。

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February 16, 2008

「麺大好き人間」

Yuki

     昨晩より雪が降り続いています

 昨晩、何気なしにテレビのニュースを見ていたら、ショッキングな発表を
農林水産省の役人がしていた。

「4月より小麦粉を30%値上げします!」
 
 なんで農林水産省が言うんだ?

知らなかったのだが、もともと農林水産省が小麦粉を輸入して、日本の製
粉業者に売るのだという。

 しかも、小麦粉の日本での自給率か10%というから驚きである。
90%を輸入に頼っているというのである。

 中国などの需要が多くなったのと、オーストラリアの旱魃、石油の高騰な
どで輸送費が高くついたのが理由だという。
 本当はもっと値上げしたいところを、30%に抑えたと恩着せがましく言っ
ていた。

 ”かずぼう”のような、「麺大好き人間」にはショッキングなニュースである。
といっても、「麺大嫌い人間」には出会ったことがないので、誰にとっても
ビッグニュースであろう。

 麺といえば、うどん、そうめん、そば、ラーメン、パスタである。
でもひとつ疑問なのは、「小麦粉」っていくつか種類があるんじゃないの?

 まずは小麦の種類である。

硬質小麦は、タンパク質が多く、粘弾性に富む。
 パンや中華麺向きである。
主としてカナダ、アメリカ産。

中間質小麦は、タンパク質の含有量が中位で、ゆで麺や乾麺に向いている。
 主として、オーストラリアと国内産。

デュラム小麦は、マカロニやスパゲッティ専用の小麦で、主としてカナダ、ア
メリカ産である。

軟質小麦は、柔らかくてタンパク質が少なく、ケーキなどのお菓子向きの小
麦である。主として、アメリカ産。

 用途から分類すれば、

主として、タンパク質の中のグルテンの量、性質、粒度によって分類される。

 強力粉、中力粉、薄力粉の順にグルテンの量が多いのである。
強力粉は、パンや餃子の皮、ラーメン、ピザに使われ、「カメリア」と銘打って
ある。
 ピザは確か、強力粉と薄力粉の割合が4対1だったような・・・。
 
中力粉は、うどんなどに使う。
 そばのつなぎにも使う。

 薄力粉は、ケーキ、お菓子、てんぷらに使い、一番水分吸収が少ない。
フラワーというのがこれである。

 うどんやそば打ちは最近の趣味である。
買いだめをするのも手だが、賞味期限の問題もあるのでどのくらい備蓄した
らいいのか?
 あまり多く買っても、虫に食わせたり、消費期限切れで捨てるのも、もった
いないし・・・。
 思案六歩というところか。

いや待てよ、うどんやそばのつなぎに使うのは、中力粉だから国内産でまか
なえるんじゃないのか。
 ということは、輸入物ではなしに手に入るということか。

もともと国内産は、少量しか流通していなくて高かったが、輸入物が高騰す
ると、値段的に変わらなくなるかも。
 しかも、国内産は、農薬とかの問題もクリアして、品質的にも安定している
かも知れない。
 それに、「地産地消」が原則だし、よし!国内産の小麦で行こう!!!
 

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February 14, 2008

「求めない」

Kajimahon


 何のきっかけかは、とうに忘れた。
加島祥造著「求めない」という本を買い求めた。
 なんとはなしに買った本なので、詩集というのは知らなかった。

詩集は”かずぼう”は苦手である。
 感性が違うと、皆目理解できないことが多いのである。
案の定、ぱらぱらとページをめくっただけで、積読となった。

 何しろ、変形の正方形の詩集で、あるときは、1ページ丸まるを使って、「求
めない」という一言だけしか書いてない。
 詐欺じゃないかとさえ思った。

加島祥造(1923)は、東京神田生まれの詩人、タオイスト、墨彩画家である。
 大学で長年、英文学を教えていて、数々の翻訳を手がける。
50歳より「書」を習い、1990年より長野県・伊那谷に独居。
 日本で初めて、「老子」の言葉と思想を現代語自由詩の形によって表し、本
を出している。
 現在は、伊那谷を心の故郷として愛し、その自然の中でタオイストとして暮
らしているという。
 仙人みたいな人か?   または、隠居していられるのか・・・?

積読の本、「求めない」の詩集を、昨日の深夜、アルコールで朦朧としながら、
読んだ。

 それが、メチャクチャおもしろい!!のである。
心にしみわたる。

     
        はじめに

          誤解しないでほしい。

          「求めない」と言ったって、

          どうしても人間は「求める存在」なんだ。

          それはよく承知の上での

          「求めない」なんだ。

      食欲性欲自己保護欲種族保存欲

          みんな人間の中にあって
  
          そこから人は求めて動く----それを

          否定するんじゃないんだ、いや

          肯定するんだ。

          五欲を去れだの煩悩を捨てろだのと

          あんなこと

          嘘っぱちだ、誰にもできないことだ。

          
          「自分全体」の求めることは
          
          とても大切だ。ところが

          「頭」だけで求めると、求めすぎる。

          「体」が求めることを「頭」は押しのけて

          別のものを求めるんだ。

          しまいに余計なものまで求めるんだ。

    
          じつは
 
          それだけのことなんです、
 
          ぼくが「求めない」というのは

          求めないですむことは求めないってことなんだ。


          すると

          体のなかにある命が動きだす。

          それは喜びにつながっている。

                  ・
                  ・
                  ・
           求めないーーー

           すると
           
           ひとも君に求めなくなる

           求めないーーー

           すると

           ひとから自由になる
            
                  ・
                  ・
                  ・
           求めないーーー

           ということは

           いまのままでじゅうぶん

           と知ることなんだ


  なんだか、あこがれのおじいさんの言葉みたいである。

古いかやぶきの家のえんがわで、陽だまりのなか、ふたりはお茶している。
 昔の俳優で、寺尾聡の父:宇野重吉みたいな老人とである。
低くて、震えるような言葉で静かにゆっくりとさとすようにしゃべっているのを
横で庭の梅の花をめでながらぼくは話を聞いている。

 遠くでメジロの鳴く声が聞こえる・・・。     
     

           
 

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February 13, 2008

「ノルディック・ウォークとは」

Nordick


 神鍋のスキー宿のご主人と雑談をした。
彼は、最近東京まで行って講習会を受けたという。
 何の講習会かというと、”ノルディック・ウォーク”の講習会だという。
インストラクターの資格を取ったと資格証明書をわざわざ見せてくれた。
どうも、オフシーズンの民宿利用拡大のためじゃないかと”かずぼう”は思うので
ある。

 「ふん、ふん・・・」と聞いていたが、これが、とてもおもしろそうなのだ。
要するに、高原をトレッキングするひとつの方法のようである。

 正しくは、”ノルディック・フィットネス・ウォーキング”(NFW)という。
もともとは、クロスカントリースキーの選手たちが、オフシーズンの間の体力維持
強化トレーニングとして行なっていた”スキー・ウォーク”を、ポール2本を使って、
簡単な歩行運動として紹介した。
 1997年フィンランドで発表され、またたく間に、ヨーロッパ中に広まったらしい。
5~10分で”有酸素運動”(エアロビクス)効果がある。
 足、腕を中心に全身運動となり、いつどこでもでき、身体の90%の筋肉が使わ
れるそうである。 
 
 腕を胸の高さまで大きく振って、歩幅を大きくし、ポールはかかと付近を突くよう
にする。
 上半身とのリズムで、ポールをできるだけ後方に突くのがコツだという。
その間、歩行姿勢や呼吸を正しくするのは、もちろんである。
 ひざの関節や脊髄にかかる負担は軽くできるし、腰痛防止にもいいらしい。
心肺機能強化、動脈硬化や高血圧防止など、いまどきはやりの生活習慣病の予
防に効果大である。

 ううーーーん、試したくなって来た。

体験会は全国で展開中。
 近くでは、大阪城公園で毎週水曜日夜にしているという。
まずは、専門のポール2本をそろえることから始めねばなるまい。
 約3万円くらいで、もし「三日坊主」に終われば、またまた周囲の失笑を買うので
熟慮せねばなるまいて・・・。
 

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February 12, 2008

「ふぐの毒」

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             雲海


 「ふぐは食いたし 命は惜しし」という川柳があるが、ふぐのおいしい
季節である。
 ふぐって味あるの?単に、噛みごたえなどの食感で、ポン酢の味だけ
の気もする。
 しかし、小泉武夫先生によると、美味である理由があるという。

「ふぐの肉がうまいのは、他の魚よりうま味の前駆体となるタンパク質
の含量が高いうえに、直接うま味や甘味の主体となる遊離アミノ酸が
多いことによる。
 さらに、核酸系のうま味成分も多い反面、脂質を全くといっていいほど
含んでいないから、噛んでいると上品なうま味しか湧き出てこない」
と絶賛である。

 それにしても、ふぐ毒は何を意味するのか?

ふぐ毒の正体は、テトロドトキシンで、300℃の加熱でも分解せず、青酸
カリの300~400倍の毒性があり、致死量は2~3mgで猛毒である。
 ほかに、カリフォルニアイモリ、コスタリカ産カエル、ヒョウモンダコ、スベ
スベマンショウガニにもテトロドトキシンは含まれている。 

 起源は、海底にいる細菌らしく、これらの細菌をプランクトンが食べ、そ
のプランクトンを小型巻貝が食べ、その小型巻貝をふぐが食べる。
 その食物連鎖によって、毒が濃縮され、猛毒となるらしい。
毒は、肝臓や卵巣、精巣、皮や筋肉に含まれるが、ふぐの種類や個体、
漁獲海域によっても毒力が違うようである。
 養殖のふぐは一般的に毒はないようだが、あるときもあるというから不思
議であるし、また怖い。

 「ふぐはなぜ毒をもつか?」というのは、一冊の本になるくらいだから、結
局は結論は出ず、”謎”なのであろう。

 種族の繁栄、保存のために、食べられないようにして身を守るというのが
一般的な意見であるが、それなら小動物すべてに毒があってもいいような
ものだが、そういうわけではない。

 たまたま、そうなったという偶然に”かずぼう”には思えるのである。

キノコの毒のように植物も毒を持つものはたくさんある。
 神経毒のアルカロイドは、気管支喘息の特効薬だったり、鎮痛剤、麻酔剤
で有効利用されている。

ふぐ毒は有効利用されているのであろうか?・・・よく知らない。
 
 それにしても、ふぐを、おいしく食べられるようにした古来の日本人には脱帽
である。
 

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February 08, 2008

「蕎麦打ち体験」

Sobauti


 蕎麦打ち体験は、2~3回くらいある。
この間は、蕎麦が大好きで、高じて、アマチュアながら”達人”と友人間で呼ば
れているというHさんという人と共に、「蕎麦打ちパーティー」をした。

 その”達人”の手さばきを見ていると、「ただものでない」雰囲気満載である。
言葉少なく、一心に蕎麦だけを見つめて黙々と手を動かせる。
 ”職人”の域である。

 本を読んだり、ビデオで勉強もしたという。
あるとき、ある「蕎麦道場」に参加して、「たいしたことない」と感じ、まず近辺で
「一番蕎麦打ちのうまいといわれている人」のもとに見学に行き、教えを請う。

 そして、後は自宅でそれこそ、ひとりで黙々と練習したんだそうである。
蕎麦の実を石臼で引いて研究したこともあるというから本格的である。

 「なぜ、男をしてここまで熱中させるのか?」という疑問がわくであろう。

かずぼうは、本を読んだり、数々の体験話を聞いたりしてゆくうちに、その理由が
そのうちに判然としてきた。

 「蕎麦打ちは、アートだ!」である。

蕎麦は麺類の中でも日本独特のものであり、江戸時代に発展し、庶民に愛され
てきた。

 蕎麦粉に水を入れ、こね、切り、ゆでて、盛り、「蕎麦汁」につけて食べるだけの
ものなのである。
 それが、「包丁、3日。伸し、3月。木鉢、3年」といわれるように、熟練を要すもの
とされている。
 
 「蕎麦がうまい」というのは、どういう蕎麦の作り方で生ずるのであろうか?
蕎麦粉の吟味か、水回しの巧みさか、こね、伸ばし、切りの手早さか、はたまた
ゆで方にあるのか、盛り方か、それとも「蕎麦汁」によるのか?

 長くなりそうなので・・・、ここで筆を置く・・・。 


   P・S
    蕎麦打ちの魔力は、蘊奥を究めて、しろうとが店を出すまでになる人が多く、
    異常ともいえるような打ち込みようである。
    その魅力は・・・やっぱり、ひとことでは言えへんくらい、奥が深い・・・。
                     (中途半端?) despair

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February 07, 2008

「男を選ぶとき」

Tanuki


 「男を選ぶとき、女は男を素っ裸にして、海岸べりに並べて見ろって
いう言葉があるそうなんですけど、そのとき女は男のどこを見たらいい
んですか?」
  と、袴田知作(はかまだ・ちさ)は訊いた。
   (ちなみに20歳の若くてかわいい娘さんである)

こんなこと、急におじさんに聞かれても、返答に困るのである。 
 「瞳の輝きですかねえ・・・」も変な回答である。

「一切のかぶりもの、肩書き、学歴、見た目、財産、才能などを取り
去った裸の”心の清らかさ”を見よっていうことなんじゃないかな?」
 無難な回答ではあるが・・・。

富樫は前方につらなる車のテールランプに視線を投じながら言った。

「男を素っ裸にして見るっちゅうのは、その男が窮地に陥ったとき、た
とえば死ぬような病気にかかるとか、全財産を失って乞食同然になる
とか、監獄に入れられるとか、つまり、どう考えても再起不能としか思
えん状態になったときでも、自分の信じるところのものを捨てるか捨て
へんか。
 この男は、はたして、どっちなのかを見きわめろっちゅう意味とちゃう
やろか。
 どんな窮地に陥っても、自分の信じるところのものを捨てへんちゅう
男は、きっといつか甦ってきよる・・・。
          ぼくは、そんな気がするけどねェ」

「自分の信じるところのもの、ですか・・・」袴田知作はそうつぶやいた。


 なーるほど。。。 そういう意味なんか・・・。
”自分の信じるところのもの”は大切に、絶対守らなあかん!ということ
やな。 
 ”自分の信じるところのもの”って何や?
正義、信頼、信義、誠実、信条、信仰、真理、善行、無我、無欲、利他
精進・・・・・・・。

 具体的には、どういうことなのだろう?
簡単と言えば簡単で、むつかしいと言えばむつかしい。

      (宮本輝著「草原の椅子」より抜粋し、脚色しました)

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February 05, 2008

「カレイの煮付け」

Tubomi

 今朝は、当地は重たく湿った雪が降っていますが、
   さくらの蕾が少しは目に付くようになりましたheart01

 
 何の脈絡もなしに、かずぼうの父方の祖父のことをふと思い出しました。
生きていたら、もうとっくに100歳を超えていると思います。
 亡くなったのは、かずぼうが幼稚園くらいのころだったでしょうか。

家から、少し離れた、歩いて5分位の所に住んでいました。
引退して、隠居生活といったところだったのだと思います。
 時々、父からのお使いで、用事を言いつけられて祖父に会いに行ったこと
を記憶しています。

祖父は口数少なく、静かな人でした。
 父からのお使いを持ってゆくと、何も言わずに、僕の手のひらに、飴玉を
一個乗せてくれました。

 それと、もうひとつの記憶は、食事のときの記憶です。
祖父は、カレイの煮つけが大好きでした。
 それは上手に、カレイの肉をせせるのです。
皮や縁側の部分の小さな肉片もせせります。
 骨だけになっても、しゃぶります。
 ほとんど、骨だけになったところで、ご飯茶碗に積み上げ、熱湯を注ぎま
す。
 それを、「ズズーッ・・・」と音を立てて飲みます。
これは、「骨湯」といい、骨の髄からしみだすゼラチンやコラーゲンといった
タンパク質が特有の旨みやコクを出して、おいしかったのでしょう。

その後骨を焼いて焦がし、さもおいしそうに、バリバリと音を立てて、かんで
しまいます。
 後はほとんど何も残りません。
 骨は、人体の骨格や体組織を作るための成分であるカルシウム、リン、
カリウムなどの宝庫なのです。 
 
最近の子供たちの、魚の食べ方とは大いに違うようです。
このごろになって、「食育、食育・・・」とうるさくなりましたが、基本はこんな
ところにあるのじゃないかなと思う今日この頃です。

 

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February 02, 2008

「碁石茶」

Tonnbi

         トンビの集会

 中国製品に対する不信感が高まっている。
京都へ行くと、時々寄る中国製品専門の店がある。
 昔は、客で混雑していたが、最近はさっぱりである。
閑散とした中で、見てまわる。
ふと見つけた普洱茶(プウアルツアー)を買った。
 かずぼうは、少し酸味があり、独特の香りの、このお茶が大好きなので
ある。

普洱茶は、微生物による発酵茶の代表的なお茶で、中国雲南省の特産
である。
 発酵の際に糸状菌の生産した酵素が、体内の脂肪分を分解し老廃物
を一掃するという、いわゆる「やせる茶」として話題になっている。
 昔、台湾で知って、それ以来のファンである。
 普洱茶は、緑茶を蒸してから圧縮してレンガのように硬くし、それを貯蔵
している間に糸状菌を繁殖させて発酵茶とするのだという。

 中国固有のお茶だと思っていたら、日本にもあるという。
高知県の「碁石茶」である。
 高知県大豊町の特産で、中国とは少し作り方は違うようである。

作り方は、まず自生の山茶の葉を茶かご(蒸籠)に入れ、2時間ほど蒸す。
 蒸しあがったら、小枝を取り除き、葉だけをムシロに広げて40~60セン
チの厚さに積み、さらにその上にもムシロをかぶせて5~7日間「前発酵」
させると、カビが一面に出る。
 次に茶を漬け込むオケにこの茶を移し、蒸し釜にたまった茶汁を上から
適当にかけながら、茶の葉を足で踏み込み、さらに重石をのせて約10日
間寝かせながら「本発酵」(乳酸菌や酪酸菌)を行なう。
 「本発酵」が終了した葉を茶切り包丁でさらに小さく刻み、再び漬けオケ
に入れて足で踏み固め、2,3日間「後発酵」(酵素)させたものメフリ(竹
製のかご)に入れて時々ゆすって寝かせた後、ムシロに広げて直射日光
で乾かし、製品とする。

 両方とも、カチカチに固まった黒いカタマリで、まるで夜店のカチ割り飴
のようである。

 無性に、日本の「碁石茶」も飲みたくなって、ネットで調べてみた。
あった!!!  けれど、高ーい!!
 100グラムが2000円位するのである。

作る手間を考えると、仕方ないのかなあ・・・。  


 (文中の薀蓄は、小泉武夫著「食の世界遺産」による)
 

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February 01, 2008

「中国語について」

Annoneko

            友人の子猫  


 どうでもいいことだけど、中国へよく行っている友人の話によると、中
国語というのは、漢字だから、大体意味がわかるそうである。

 「恐怖活動分子」はテロリストのことで、「生魚片」は刺身のことで、
「空中小姐」はスチュワーデス、「可口可楽」はコカコーラで、「牛角」は
クロワッサンのことだそうである。

 ややこしいのもあるそうで、「手紙」は、ちり紙とかトイレットペーパー
のことで、「娘」は母親のことで、「愛人」は妻のことで、「老婆」は奥さ
ん、「女児」は娘のことであるそうな。

「トイレに”手紙”がないぞう!早く”手紙”もってきてくれ!」

「僕の”娘”は、僕より30歳年上で、最近、認知症が出てきて困ってる
んですよ!」

「彼の”愛人”知ってる? 嫁姑問題で家を出て行ったんだって・・・」 

「宅の”老婆”は、若づくりしてミニスカで、KinKi Kid's (近畿小子)のコ
ンサートへ行くんだぜ!どう思う?」

 つまらんことばかり考えていも、一日は矢のように過ぎてゆく。

             いいんかいな・・・?

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