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January 31, 2008

「パロディ」

Ayame


 人生に多くを求めない人へ・・・

子供のような哲学を持ち、大人のような不純さを持つ人。

   亜流なのに、心は主流と思っている人。

ジーンズをよくはくが、スーツは持ってない人。

   ジョークをよく言うが、人生を語れない人。

無意味なことは好きだが、有意義なことは嫌いな人。

   恐竜には詳しいが、ワインについては何も知らない人。

決して縛られず、非常識な人。

   手紙は鉛筆で書くが、パソコンでメールできない人。

家庭はすぐ忘れるが、時には思い出す人。

   にぎやかなことは好きだが、孤独は耐えられない人。

常に情熱的だが、冷静さのない人。

   ロックは大好きだが、クラシックはからっきしダメな人。

自信過剰気味だが、ときに自己嫌悪になる人。

   ジムによく通うが、美術館には行かない人。

いつも人の意見に反論するが、協調性のない人。

   朝はよく寝坊するが、夜更かしはしない人。

冒険することが多いが、よく失敗する人。

   上司にはペコペコし、部下には厳しい人。

料理はできないが、グルメな人。

   贅沢は好きだが、質にはこだわらない人。

約束の時間は守らないが、人が遅れてくると怒る人。


   
 これは、BMWのコマーシャルの”パロディ”である。

本当の方は以下のとおりである。

 人生に多くのことを求める人へ、BMW
        (要するに、車の宣伝である)

大人の哲学を持ち、子供のような純粋さを持つ人。

   主流なのに、心は反主流である人。

スーツを着こなすが、ジーンズもはきこなす人。

   人生も語れるが、ジョークもうまい人。

有意義も好きだが、無意味なことも好きな人。

   ワインにも詳しいが、恐竜にも詳しい人。

常識は持っているが、決して縛られない人。

   ITには強いが、手紙は万年筆で書く人。

家庭を愛しているが、時には家庭を忘れられる人。

   孤独も好きだが、社交も上手な人。

常に冷静だが、時に情熱的になれる人。

   クラシックも聴くが、ロックも愛している人。 
  
自信はあっても、過信はしない人。

   美術館にも行くが、ジムにも行く人。

協調もできるが、反論もできる人。

   夜更かしはするが、朝きちんと起きる人。

守るものが多くても、冒険できる人。

   部下には優しいが、上司には厳しい人。

食べるのも好きだが、料理もできる人。

   上質にはこだわるが、贅沢は好きじゃない人。

自分の誕生日は忘れても、約束の時間は守る人。


 どっちかといえば、かずぼうは、最初にあげた人と友達になり
たいかな・・・? 

   

  

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January 30, 2008

「中古良品」

Yachou1

            ツグミ?

 かずぼうの尊敬する先輩・赤瀬川原平先生は、中古カメラの先生でもあり、
1981年「父が消えた」で芥川賞を受賞。
 最近は、「老人力」でベストセラーになった作家である。
近刊の「祝!中古良品」では、”アカセガワ版養生訓”を発表している。

 その中で、人間の体について、次のようにおっしゃっている。

人間の体は新品ではあり得ない。
 赤ん坊でない限り、大人であれば、自分の体は必ず中古品だ。
健康を考えるのは、まず中古品の自覚からだ。
 人体はみな中古だ。
赤ん坊が新品といっても、おぎゃあと発声した瞬間から中古の道を歩みはじ
める。
 とはいえ子供のうちは成長するから、日々新品を生きているともいえるが、
それも生殖能力に達するまでで、その年齢を過ぎれば、後は中古品だ。
 そしていまや長寿化ということもあり、人生の大半を中古品時代が占めて
いる。
 アンティークカメラでいえば、値札に「中古」とあるのは、中古としてまあま
あということ。
 まあまあ以上に信頼のおけるのは「中古良品」。
その上になると「新同」(新品同様)。
 さらに上は「未使用」。
もっと上は「未開封」。
 中古の下は、「シャッター不良」、「レンズ曇りあり」とか、人間世界とすべ
て同じ。
 さらに下は、「研究用」で、機能せず、分解して研究するとか、部品取りで
買われてゆく。

 さてそうなると、もっともリアルな健康は、「中古良品」だ。
ボディは当然ながら古びてはいるが、生活的な動きは健全で、むしろ新品
よりは滑らかに動く。
 その動きの陰には、豊富な知識と経験が詰まっている。
 

 ここで貝原益軒の「養生訓」の登場である。
「老後」の箇所にはこう述べてある。

 「老後は、わかき時より、月日の早き事、十倍なれば、一日を十日とし、十
日を百日とし、一月を一年とし、喜楽してあだに日をくらすべからず。
 つねに、時日ををしむべし、心しづかに、従容として余日を楽しみ、いかりな
く、慾少なくして、残躯(残っている身体)をやしなふべし。
 老後、一日も、楽しまずして、空しく過ごすは、をしむべし。
老後の一日、千金にあたるべし。
 人の子たる者、是を心にかけて、思はざるべけんや」

老人の一日は長いけど、老人の一年は短い。
 記憶力がだんだんマヒしてくることもあるが、やはり終点に向かっているとい
う実感が強まるからだろう。
 老後の一日は千金に値する、というのはまさにそうで、人生は一度かぎりの
実験なんだということをひしひしと感じる。
 時間の感覚の早さというのは不思議なもので、楽しい時間は早い。
嫌な時間は本当に時間が経つのが遅い。
 老人の一年が短く思うのは、楽しい、楽しくないとはまた別問題で、おそらく
成果として残るものがない場合でないか。 
 あるいは、記憶が抜け落ちるからか。
一日が長く感じるのも、それは仕事なり、なんなりの目印がないからだろう。
   (赤瀬川先生の言葉)

 ここでおもしろいのは、老後を考えると、きっぱりと二つに分かれることである。
ひとつは、「仕事人間」で、死ぬまで仕事を続けるという人である。
 もうひとつは、「趣味人間」で、仕事はやめて、次々と興味深いことにかまける
人である。
 どちらがどうということはないが、いずれにしても、「一日値千金」なのである。

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January 29, 2008

「五百羅漢」(北条石仏)

Rakan2


 ネットワークというのは、うれしいものである。
かずぼうが、「仏像好き」で、特に”お地蔵さん”とかいう素朴な石仏に
興味があるのを知られていたのだろう。
 また陶製のお地蔵さんを作って、展示会をしたせいもあるのだろうか。

ある日、郵便受けに「北条石仏」のパンフレットや写真の載った絵葉書
を入れたビニール袋が入っていた。
 「謹呈 Hから」と書かれてあった。

兵庫県加西市にある北条石仏の五百羅漢は、大分県耶馬渓山、山梨
県吉沢の羅漢とともに全国的に有名だそうである。 

 ちょうど先週末に、大阪へ行く用事があった。
北条石仏のある加西市へは、高速の吉川から、往復60キロくらいの寄
り道で行けそうである。
「善は急げ!」とばかり、北条の五百羅漢に会いに行った。

 まず下調べである。
そもそも「羅漢」とは何だ?
 
 羅漢とは「阿羅漢」の略で、サンスクリット語が語源の音写語である。
インドの宗教一般で、「尊敬されるべき修業者」をこう呼ぶ。
 初期仏教では、修行者の到達しうる最高位をいう。

五百羅漢とは、単に多くの羅漢を指すが、第1回の仏典編集に集った5
00人の弟子を意味したり、釈尊の入寂のとき500人の比丘が集まった
ことからだともいう。

 京都の愛宕の念仏寺は、「千二百羅漢」だというのは初めて知った。

これだけ多くの羅漢さんを祀ったのは、江戸時代中期以降に五百羅漢
信仰が民衆の間で盛んになり全国各地にさまざまの石仏、木造仏が作
られたという。

 実際に行ってみると、まずは受付で「ご先祖さん、親御さんに似た石仏
が必ず見つかりますから探してみてください」と声をかけられる。
 なるほど、ずらっと並んだ高さ1メートル前後の454体の石仏群には圧
倒させられる。
 そして、みなそれぞれ違うお顔をしておられる。
ちょっとだけだが、チリ領イースター島のマウイ像にも似ている。
 素朴な直方体の胴に、丸く彫りこんだ頭、切れ長の開いているか閉じて
いるか判然としないひとみ、直線的にのびた鼻筋、一本の線でまっすぐに
時には弓形に彫られた口・・・。
 風雨にさらされて、表面はかなり風化したものもあるが、ノミの後さえ残
っているのもある。
 どちらかというと、円空的ともいえる。
そのときは、訪れる人もなく僕ひとりで、時折吹いてくる風の音だけが聴こ
える静かな空間の中のたくさんの石仏に無言の圧力さえ感じていた。

 ついに、亡くなった祖父や祖母、父の姿を探し損ねたのであった。

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January 25, 2008

「三和土」(たたき)

Tataki


 「三和土」というのをご存知だろうか?

昔の茅葺(かやぶき)の家なんかに、玄関とか台所ののスペースとかの床
に使われている土間と呼ばれるつちの部分である。
 そういえば、焚き木を燃やして米をたく「かまど」があって”おくどさん”とか
”へっつい”とか呼んでいたなあ。
 その”おくどさん”が、三和土の中に、でーんと鎮座していた。

 雨のときは、子供たちがメンコなどをして遊んだり、ニワトリやヤマドリ時に
は、ブリやハマチ、シカ・イノシシをさばいた場所である。

 家の中ではあるが、半分外の感覚があったのである。
 
調湿性があり、湿気の多いときは湿気を吸い取り、乾いたときは、水分を放
出するので、ほこりも立ちにくい。
 また冬の温度低下を防ぐ働きもあった。
それに、歩いたとき足に優しく、下駄であってもあまり騒音を発しない。
 黒っぽくて少し凹凸があり、光によって陰影が美しく風情もあったのである。

作り方は、まず砂利を敷く。
 一番いいのは、京都伏見の深草砂利だそうである。
一面に敷いて慣らし、その上に、土に石灰、にがり(塩化マグネシウム)を混
ぜたものを団子ができるくらいの硬さに練って、たたきながらしめて行く。
 土は、花崗岩や、安山岩などが風化してできた土で、赤土である。
たたくのは、木で出来たコテ状のものや、板に長い取っ手の付いたようなもの
で根気よく、たたいて固める。
 この塗り固めた土は10センチ位はあったろうか。

この三和土は、外からは土の汚れが運ばれるし、内では、土の付いた野菜く
ずや、肉をさばいたときのくずをばらまかれて、次第に汚れてゆく。
 また、やわらかいので、人の通ったところは足の重みによって、長年にわた
ると凹凸が出来る。
 この凹凸が、かずぼうには非常になつかしいのである。

しかし、大雨のときは、水を含みすぎると、じゅるじゅるになって履き物などを
汚す。
 風情のある凹凸も、大きくなりすぎると歩きにくい。

そんなことなんかがあるためか、近頃はせっかくの三和土をセメントの土間に
変えてしまうことが多いようである。
 水を流して掃除もしやすいし、ホウキで掃くのもはきやすいということであろ
うか。

 古き良きものが、だんだん失われてゆくのは寂しい限りである。


P.S
昔、玄関先の三和土は、農作業によく使われたようである。
   むしろや蓑、わらぞうりを作ったり、蚕の繭から絹糸をつむいだり、むしろ
   を敷いて、豆のさやむきに使ったりした。
   そこでは、ほかに餅つきや脱穀も行なわれたのじゃないかな。

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January 24, 2008

「森茉莉」

Sazanka

            山茶花

 森茉莉(1903~1987)という小説家・エッセイストがいる。
かずぼうは知らなかったのだが、東京出身で、あの有名な森鴎外と、
その2人目の妻・志げの長女で、父には溺愛され、16歳で父のひざ
の上に座っていたという。
 強度のファザコンだったらしい。
「子供がそのまま大きくなったような人」と自他共に認める生活能力
のなさで有名だったという。
 結婚にも失敗し、生活のため仕方なく小説を書くようになったという
うわさもある。
 父に関するエッセイ、「父の帽子」、同性愛を描いた、「甘い蜜の部
屋」、「恋人たちの森」で数々の受賞をし評判をとる。
 老いては、ひとり暮らしをしていて死が発見されたのは2日後のベッ
ドのなかで、訪れたお手伝いさんによるという。

 1997年に発行されたエッセイ、「魔利のひとりごと」を読むと、わが
ままで、”きれい、おいしい好き”のフランス大好き人間であるように思
える。

 その中に、きらりと光って見える個所があった。

それは「時の翼」と題した哲学的にさえ思える一文である。


 私は紅茶を喫んでいた。
そうしてふと「時刻」が経つ恐ろしい速さに気付いた。
 何十年も前の或日のことだ。
私はそのとき想ったのである。

 「時刻」というものはなんと恐ろしい速さで飛び去るものであろう。
いま私は紅茶をひと口喫んで、紅茶茶碗を唇から離した。
 そうして紅茶茶碗を受皿においた。
私がいま紅茶茶碗を受皿に戻した時、私が紅茶を喫んだ時刻も、また
紅茶茶碗を唇から離した時刻も、そのそれぞれの時刻はもう絶対に還
ってこない。
 「過去」になったのだ、と。

「時刻」は恐ろしい速さで、飛び去る。
 「時刻」はそうやって、無数の小さな断片の形で、「過去」になってし
まう。
 私は愕然とし、そうして次いで何ともいえない心もとなさを覚えた。
小さな、短い「時刻」の断片は羽が生えたもののように、後へ飛び去る。
 「時刻」というものを自分のものとして捉まえていることは、だから全く
不可能なことである。
 「現在」というものは実質的には存在しないものである。
                   ・
                   ・  
                   ・
人間は「現在」の中にいながら、常に過去の中に、同時に住んでいる、
というべきである。
 そこで人間の一生というものは主婦が夕刻、速間な音をたてて、素
早く刻んでいくキャベツのようなものにすぎない。
 それはまたたく間に無くなってしまう。
私は自分の一生が細かな、軽い、塵のような、つねにふわふわと飛び
去る、たよりないものに、想われてきた。
 私は飛び去る「時刻」の、寂しげな翼の音が聴こえるような気がし、そ
の翼の音で私の周囲も、ついでは部屋の中も、たちまち埋まってしまう
ような想いに捉えられた。
                   ・ 
                   ・
                   ・
 未来も、次々に翼の音をたてて飛び去る「時刻」の断片の連続にすぎ
ない。 
 私は全く果敢ない気持ちになり、人生というものが、それまでに考え
ていたよりも、もっと信じ得ない、空漠としたものに、思われてきた。
 「人生」というものそのものが、確固とした存在ではない、「夢」のよう
なものに思われた。
 ・・・「人生は、一場の夢のようなものだ」とか、「人生は粥を炊く間の、
短い夢だ」という、昔の言葉が改めて、思い出された。


 かずぼうは、この個所を読んでいて、江戸川乱歩の好きだった言葉、
「現世は夢 夜見る夢こそまこと」・・・がリフレインのように耳元で響いて
いた。
 
 
 

  

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January 22, 2008

「エスキモーの犬」

Popi2


 本田勝一さんのカナダ・エスキモーのレポートからの話である。
犬ぞりの話で、エスキモーたちはそりの前面に犬を扇形に立てて引
かせるのだそうだ。
 もっとも長い綱をもらい、先頭に立つのは、頭のいい優等生の犬で
これが群れを引きずって行く。
 ところが、群れの中には、いつも、綱がたるんでしまうのが一匹い
るという。
 綱がたるんでいるということは、そりを引くのにまったく役に立って
いないということだから、こんな犬は連れて歩かなければいいのに、
と彼も思うのだが、それがおもしろい。
 この犬は、そり上の人間が、絶えず振り下ろすムチの目標として
存在価値があるのである。
 犬たちは、一種のパニックに陥りながら走るのだけれど、この能無
し犬は、いつもムチを受けて哀れにもキャンキャン泣きわめき、その
泣き声が他の犬をふるいたたせる。
 少なくとも、この犬は群れにとって絶対に必要なのだ。

世の中は、「勝ち組」だとか、「負け組」だとか言って、実力主義、競
争によって勝ち抜くことが”善”とか、”目的”にされがちである。
 けれども、結果的には、ナンバーワンよりオンリーワンではないけれ
ど、それぞれ「自分の分」を果たせばいいのである。
 最後には、「勝者」は、「敗者」に対して、「ありがとう」と感謝する謙
虚さが必要なのかもしれない。
 (「逆に言うとな」という、赤井秀和のギャグをここで入れる)(笑)

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January 19, 2008

「このごろのわかいもんは」

Naita_2
 (click!)

 かずぼうの敬愛する姉御、エッセイスト、絵本作家・佐野洋子さんは
2度結婚し、2度離婚した経験豊かなひとで、息子さんがひとりいる。

 彼女は息子が9歳のときに、たずねた。

「ねえ、あなた、大きくなってお嫁さんをもらう時にね、ひとりはすごーく
 美人でね、それが意地悪で、バカで欲張りで、わがままで悪ーい奴
なのね。もうひとりはブスで、優しくて、頭がよくて素直で、すごーくいい
人なのね。それでどっちもあなたのお嫁さんになりたいといったらどっち
にする?」

息子はコロッケを食うのをやめ、そして、じっと皿を見て、非常に非常に
長い間沈黙したんだそうだ。
 そして彼女の目をひたと見て言った。

「あの、そのブスって、前にいたら、ご飯も食べられないくらい?」

 9歳の息子は、飯が食えるくらいのブスだったら根性曲がりの美人よ
り、心優しい賢い女を選んだんだろうと思ったという。

しかし、15,6歳になると、どんなパンパラパーであろうと、見てくれだけ
を重んじるようになったのだそうである。
 色気づいてきた仲間に一言「やめろよ、あんなブス」と平然と放言する
ようになったという。

 こんなことがあっても、彼女は「このごろのわかいもん」に対して、こう
言っている。

 私たちは「このごろのわかいもん」と右翼のおじさんのように国を憂える
ことがある。 
世の中の変化と共に人間も変わる。
 私たちが新人類などと言って呆然とする子供たち。
しかしいつの時代も、新しい人たちは古い人たちを呆然とさせ続けてきた
のだ。
 ギリシャ時代にすでにこのごろの若者は礼節を知らぬと嘆いている学者
がいたのである。
 しかしどうにかこうにか世界は存続した。
しかも常に進歩という人間の宿命を負ってである。
 私は心配しない。
たとえパンティーをおじさんに5000円で売る少女がいても(かなり昔のこ
とである)、受験以外のことにまるで白痴のような少年がいても。
 若い人たちはしたたかに生きてこの世を作ってゆく。
私たちがなしてきたのとはまったく別の感受性を持って新しい世界を作っ
てゆく。
 どんな世の中になろうとそれが世界なのである。
江戸時代の人たちが今の日本を想像できなかったように、今の子供たち
がやがて作るであろう新しい世界を私の貧しい想像力では思い描けない。
 立派にやってゆくだろうと思うだけである。


 かずぼうも同感である。
世の中は、そうやって同じようなことを繰り返しながら流れてゆくものなの
である。 
 といっても、僕は運命論者ではない。
向上心は人一倍あるつもりではあるが、なんだかこのごろそう思うのだ。
 
 

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January 18, 2008

「嫁姑のバトル」

Neko1


 かずぼうは古本屋が大好きである。
安いし、掘り出し物があったときは、飛び上がりたいほどうれしくなる。
 
 この間、在所近くの、”BOOK OFF”へ行った。
そして、敬愛している姉御、佐野洋子氏と曽野綾子氏のハードカバーを買った。

 佐野洋子著 「覚えていない」

 曽野綾子著 「善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか」

この二人とも、人生を少し斜に見ているのがいい。
 
 ちょうど、店が「新春お年玉福引セール」をしていた。
500円毎に1回、あのゴロゴロとハンドルを回して小さな色玉の出る福引である。
 1等が1000円券、2等が500円券、4等が50円券である。

大体僕は、くじ運は良くなく、どうせハズレだろうと思ってゴロゴロした。
 若い元気な女子店員は、あっと驚いた風で、あわてて横にあった黄金色の鐘を
力強く振る。  
 ガラン、ガラン、ガラン・・・「おめでとうございます。2等賞です!!すごい!」
意味がよくわからず、さらに2回まわす。
 女子店員は、さらに声を大きくあげて、「すごい!すごーうい!みっつとも2等賞
でえーす!!」
 トレーをのぞくと、黄色い玉が三つ転がっている。
「本が全部ただになりました!良かったですね!」と笑みを浮かべる。

 思わず「こいつは春から縁起がいいわえ!」と心につぶやいて僕も笑みをこぼす。
                  ・  
                  ・   
                  ・
先日、後輩から嫁姑問題で悩んでいると相談を受けた。
 いろいろ話を聞いた上で、僕は、「時間が解決するよ!辛抱することだね。それ
と嫁と姑双方の意見をよく聞いてあげて、個別的に双方に”君が正しい!”と役者
になって演技ができないとだめさ!」と偉そうに、無責任なアドヴァイスをした。

 奇しくも、”BOOK OFF”で買った本に、嫁姑の話が出ていた。

     抜粋すると・・・ 

 佐野洋子氏のエッセイから、

 ”女の一生は長い病気である”と言った男がいる。
誰か偉い人が言った事なのかどうか知らないが、私に言った男は、嫁と姑との闘
いに疲れ果てた奴だった。
 なんだか変に実感があったので、私はゲラゲラ笑いながら、看病疲れの男にし
みじみと同情した。


 「善人が他人を不幸にする理由」について、キリスト教徒の曽野綾子氏は次の
ように例をあげて語る。


 私は最近、おもしろい嫁と姑の例を聞いたばかりである。
嫁がかわいくてたまらぬ、という姑がいた。
 嫁も姑になついて、こんなにまで親身に思ってくれるお母さんは、めったにいる
ものでないと思って親しんでいた。
 ところがこの嫁は、まもなく心臓の発作を起こすようになった。
そうなると姑さんは心配でたまらない。
 いつなんどき嫁に発作が来て重大なことになるかも知れないというので、昼は
枕許につきそい、夜も隣に布団をしいて、そい寝した。
 それでも心臓は一向によくならない。
入院させたら(ということはつまり姑をひき離したら)嘘のように症状が軽くなった。

・・・・この嫁は実は姑を憎んでいたのである。
 二人は共に愛と憎しみの本質を、見極めていなかったのである。
彼らは善意の人々であったのだろう。
 その心に、他人との間にも、実の母子同様の感情が成り立つという美談を自ら
認めたかったのだろう。
 しかし、善意の人の困るところは、善意であると彼らが信じたがっているものが
しばしば、真実を見ることを避けさせ、そのために、知らず知らずに相手を傷つける
結果をもたらすことである。
 この姑は、嫁をそれほどかわいくなかったのだ。
むしろ息子をとられたという憎しみが人並みにあったとさえ思われる。
 しかし、この老夫人は、その醜い感情を素直に自分に受け入れることを容認しな
かった。
 そのために愛という名のもとに、嫁が息子と近づけない残酷な方法を、次から次
へと考え出し、しかもそれを意識しなかったのである。

 人生は切なくも、おもしろいものである。  ・・・興味が尽きない。

     「人間、万歳!!」    なんのこっちゃあ・・・?

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January 17, 2008

「新型インフルエンザHー5・Nー1型」

Kinoko

           野生キノコ


 友人A君から突然、かなり長い携帯メールがあった。
興奮気味で、「新型インフルエンザウィルスによるパンデミック(世界的大流行)
で大変なことになりそうだ・・・。そのときに備えて、水、食料、薬を備蓄して家
に立てこもるつもりだ・・・」とのたまう。
 かなりパニクっているようにさえ感じる。

そもそも”ウィルス”って何だという話である。
 ウィルスとは、ラテン語で「毒」とい意味が語源であるという。
大きさが半端でなく小さく、20~970ナノメートル(nmは、1mmの100万分の
1)で細菌より小さく、電子顕微鏡でしか見えないのだそうである。
 やっつけるにも、蚊やゴキブリとは大違いに小さくどう退治したらいいのか。
また、そのウィルスは、遺伝子のDNAかRNAの一方を持ち、タンパク質の殻で包
まれていて、単独では自己増殖できないが、生物に寄生(感染)することで増殖
する毒を持った生物と無生物の中間の存在であるという。
 わけわからん奴である。
 今まで、ウィルスでは、エボラ出血熱とか、サーズとかいった脅威もあったが、
いまや鳥インフルエンザが注目である。
 4~5年前ごろだったか、日本でも大流行して、予防のために大量のニワトリが
殺され、白い服で全身を包んだ人がそこら辺を消毒しまくっているテレビ映像が
流されたことは記憶に新しい。

 問題は、もとはよくわからないが、動物同士の狭い弱毒感染がヒトに感染する
ようになり、それが広がりやすく、毒性が非常に強いことなのである。
 最近のH-5・Nー1型トリインフルエンザの毒性は、世界的流行(パンデミック)
となると日本で60万人、世界中では最大1億人の死者が出るという試算もある
くらいである。
(ヒトインフルエンザ自体が、トリインフルエンザが突然変異して生まれたと考え
られている)

 それに、最近でもH型に14種類、N型に9種類あるといわれ、ヒトインフルエン
ザでもA・B・C・Dがあるし、都合何種類あるのか検討もつかない。
 原因は、ウィルスが遺伝子交雑で変異を繰り返し、日々進歩していることにあ
るらしい。
 どういうことかというと、ウィルスも生き残るために必死なのである。
次々と新しく感染力や毒性を強くしてヒトに負けまいとがんばっているということ
だ。
 リチャード・ドーキンス著の「利己的な遺伝子」を思い出す。
生き残るには、ウィルスも格好かまわず、品性をなくしているようにさえ見えるの
である。

 さて、話をもとにもどしてH-5・N-1型トリインフルエンザであるが、今までに
東南アジアのベトナム、中国、インドネシア、香港などで死者も出ている。
 インドネシアのスマトラの人口1300人の小さなクブシンブラン村では、2006
年5月4日に病気のトリに触れてプジ婦人が高熱を発し翌日死亡。
 看病した家族や見舞いに来た親戚6人に感染し、5人が死亡。
レントゲン写真を見ると、肺が真っ白で重度の肺炎で、呼吸困難から死亡してい
る。
(アジア、中東で2008年1月3日現在、348人が感染し、216人が死亡。致死
率60%くらいである)

 この辺のことを参考にして、1月12日9:00pmから、NHKスペシャル・最強ウィ
ルス第1夜「ドラマ”感染爆発”~パンデミック・フルー」が放映されたらしい。
 三浦友和や麻生祐未が出演していた。
翌日の13日には第2夜「調査報告・新型インフルエンザの恐怖」が放映される。

 再放送が、15日、16日に放映され、”かずぼう”は食い入るように画面を観続
けて、深夜だったので今も眠いのである。

 第2夜もすごかった。
実際にこのフルーが流行してパンデミックになったらどうするかである。
初めは、「封じ込め作戦」で、外出禁止、交通機関停止・・・それは可能か?

 新型のワクチンは、作るのに半年くらいかかる。
まあ効くとされるタミフルは、現在どのくらいの量あるのか。(何人分か?)
 優先順位、つまり誰から注射するのか?
警察関係、医療関係が優先されるが、その後は老人からか、子供からか?

 いったん感染を起こすと、高熱が出て、咳は止まらず、肺、肝臓、腎臓、脳に障
害が起き、呼吸困難におちいる。
 病院の医師や看護士は足りるのか?
ベッドは十分あるのか? 
 ひとつ何百万円するといわれる人工呼吸器は、足りるのか?

さらに怖いのは、医師や警察、自衛隊関係の人々が、感染が怖くて仕事を放棄
して逃げ出す可能性もあることである。
 こうなれば、お手上げであろう・・・。
(WHOやアメリカでは、結構真剣に対策を考えている。日本はどうなのか?政治
家たちよ、選挙のことよりも、このことのほうが先決でっせ!)

考えるだけでも恐ろしい。
 「国家の危機」いや、「人類滅亡の危機」である。(パニクリそう)

やっぱり、A君のように、水、食料、薬を備蓄して、家に閉じこもりしかないのか。
 日ごろから体を鍛えて、病気に対する抵抗力、つまり免疫力を強くしておくの
は大切になろう。
 暴飲暴食の禁止、酒タバコの禁止、よく寝て、よく運動して、栄養のバランス
を考えて、ストレス少なく、悪いことはせず、「清く、正しく、美しく」生きよう!
      (ちょっと違うかな?)

 ここだけの話であるが、A君の情報によると、タミフルよりも、タンポポエキスが
効くらしいし、漢方では、「麻黄湯」、「麻杏甘石湯」、「白虎加人参湯」も良いら
しい。 

 早速、薬局に走ろうっと!

P・S
 今朝の京都新聞の地方版には、ちょうど「新型インフル感染防げ!」のタイトル
で、京丹後・久美浜病院で職員らが患者搬送などの訓練(DRILL)を16日にした
という記事が載っていた。
 この”コインシデンス”に驚き!

  

 

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January 15, 2008

「ヤーコンとは?」

Yakon


 神鍋の道の駅で、買い物をしていたら、見たことのない妙な野菜が
売ってあった。
巨大なサツマイモのような格好で、名前を「ヤーコン」という。

 人は”かずぼう”のことを、”ゲテモノ食い”とか、”悪食”というけれど
食欲と好奇心が旺盛なだけである。(と僕は思っている)

このヤーコンという野菜は、後で調べてみると、南米アンデス原産の
キク科の植物で、ダリヤと同じ仲間だという。
 地下部の塊根がサツマイモの形の根菜類である。
アンデスといえば、ぺルーとかチリのあたりだが、そんなところで育つ
野菜が日本でも栽培できることが不思議である。
 でも、ここ十数年前あたりから健康食品に注目され、また「町起こし」
のこともあり、全国的に栽培が始められたという。

 効能として、コレステロールや血糖値を下げ、整腸作用(便秘の解消)
でダイエットに有効だったり、動脈硬化や脳梗塞、心筋梗塞を防ぐ抗酸
化作用やホルモン促進作用もあるらしい。

 果物のような野菜ではあるが、成分として、食物繊維やミネラルが豊
富で低カロリーであり、フラクオリゴ糖が多量に含まれ、またフラボノイド
やクロロゲン酸といったポリフェノールも豊富に含まれる。

 ポリフェノールは、フランスにワインを多く飲むくせに、心筋梗塞などの
血管障害が少なく、”フレンチ・パラドックス”だとして有名である。
 若返り、老化防止の特効薬的に扱われたこともあった。
肉類や油脂類の取りすぎが問題視される昨今、注目の的であろう。

 さて、実際に生で食べてみると、ナシのような、大根のような食感で
シャキ・シャキした歯ごたえに少し甘みが残るのである。
 何事も初体験はドキドキ、ワクワクで興奮する。

食べ方はいろいろで、ドレッシング、マネーズ、醤油、酢味噌をかけて
サラダのように生食したり、ヨーグルトに入れて食感を楽しんだりする。

 また、ニンジンと共にささがきに切ってキンピラにしたり、キムチに入
れるというものある。
 
 醤油、味噌、糠と共に漬物にしたり、お浸しもいいとある。

大きな塊が3個で、300円で安いし、なんだかはまりそうである。
 早速、糠付けにしてみたが、明日が楽しみである。

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January 10, 2008

「照一隅」

Sisimai


 先日、ご近所の親しくしていただいている先輩から、「義弟の出した本
です。読んでみてください!」と一冊の本を頂いた。
 早速読んでみる。

「照一隅」(其二)~教育改革の虚と実と~河田修著とある。
 教育現場に長年携わった河田さんが、教育関係の雑誌に教育の一隅
に光を当てようと、コラムを連載されていて、それを本にされたようである。

 違う畑のお話は、またそれで面白く、異文化に触れる思いである。
その中に、こんな話が載っていた。

 河田さんが私学におられたとき、私学合同説明・相談会に行かれたとき
のことである。
 会場の一画で、有名学習塾による講演会があった。
その講師は結びとして、「今、生徒に必要なのはABCDだ!」と強調された
という。
 それは、A「当たり前のことを」、B「馬鹿にしないで」、C「ちゃんと」、D「で
きるまでやる」ことだという。
 この話は、わかりやすく具体的で説得力がある。

この話を聞いて、かずぼうは、ある学校の標語で「基本的生活習慣の確立」
というのが、廊下の壁に貼ってあったのを思い出す。
 「そこまでいわなあかんのかい!」という気もするが、朝起きて顔を洗わな
い、歯を磨かない、朝食をしっかりとらないという生徒も多いと聞くとさもあり
なんと思う。
 そしてそれこそが大切なことなのである。
「今ここ、一瞬を大切に」、「原点に戻る」とか、「脚下照覧」という言葉が頭に
浮かぶ。

 また一方、各私立高校の学校案内パンフレットのキャッチフレーズには、
「夢や未来を求めて」のようなことが多いらしい。

 「自分だけの夢に出会おう!夢・挑戦・達成!」
 「夢にまっすぐ、それが芦屋スタイル!」
 「夢の時間は年中無休!」
 「あなたのドキドキな夢を応援したい!」
 「”青春浪漫”がここから始まる!」
         ・
         ・  
         ・

 かずぼうたちは高校受験のとき何を考えていたのだろうか?
戦争の経験者は、「立派な兵隊さんになること」や「おなかいっぱい食べ
ること」であったのだろうか?
僕たち戦争を知らない世代は、何だったのだろう?
 「世の中の役に立つ人になりたい!」という生徒もいたかも知れないが、
漠然と「有名になりたい!」や、「お金持ちになりたい!」だったのか?
 
 そして、今の高校受験者たちは、どうなのであろうか?
「公務員になりたい!」では、いかがなものか?という感じもするが・・・。
 
 それにしても、夢というのは何であろう?
宝くじに当たりたい!という夢から、旅行をしたい!という夢から、ボランテ
ィアで海外で活動したい!という夢などさまざまである。
 今のことに毎日ベストを尽くすことこそが、地に着いた夢が見つかるし、
実現するとおっしゃる人もいる。

 江戸川乱歩は、色紙を頼まれると、「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」と
書いたと言い伝えられている。
 
 ええっと・・・、何が言いたいんだっけ・・・?
混沌としてきたぜ!
 とにかく、今年は夢を熱く語ろうぜい!!!
 
         ドリーム・カムズ・トゥルー!
 

 
 

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January 08, 2008

「伏見稲荷大社へ初詣」

Inari1


 京都の”お稲荷さん”、商売繁盛の神様で有名な「伏見稲荷大社」
へ初詣に行った。
 全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮であり、もともとは
農耕神、お米の神様のようである。
 
 大阪、それも京阪沿線にかなりの年数住んでいたが、一度も行った
事がない・・・と思う?
スズメの焼き鳥が食えるらしいというのが魅力でノコノコと出かけた。
 さすが、毎年200万人以上の人々が参拝するというだけに、ヒトヒト
人でおおにぎわいである。

 参道わきには、お稲荷やおせんべい、それにお目当ての焼き鳥の
香ばしい匂いで少々興奮してくる。
 型どおり、手と口を清め、表参道正面にそびえる楼門をくぐる。
この大きな朱色の楼門は、豊臣秀吉が母の病気平癒を感謝して寄進
したものであるという。
 
 二礼、二拍手、一礼だったか、家内安全、交通安全、健康長寿、開
運招福・・・欲張りにも、もろもろを祈願する。
 これも有名な千本鳥居を抜けて、「おもかる石」にたどり着く。
何でも、願いごとのあと、直径15センチくらいの石を持ち上げて、予想
より軽かったら願いがかなうといういわくの石らしい。
 前の人がその石を持ち上げて、「重ーい!」と声を上げていた。(笑)
ムム、これはやばい・・・。
 軽い!と自己暗示をかけて臨む。
やっぱり重いが、「軽ーい!」と声を上げてごまかす。

 おみくじは17番の「向大吉」で、幸先がいい。

中を読むと、「このみさとしは、身辺にいろいろの難儀の事の起こりつつ
ある兆しである。その負担や責任を避けて一身の安全を計ると却って身
の破滅になるから、むしろ自分から進んで難事に当たるがよい。信望一
身に集まり徳望を得る」

 これは吉か、はたまた凶か? ・・・ムム。

     うせもの、出ずる。
     病気、すみやかになおる。
     たびだち、良ろし。
     まち人、来る。
     えんだん、良ろし。
     勝負事、良ろし。
     あきない、うり買い共に良ろし。
            ・
            ・   
            ・
 良いことばかりだが、「難事が起こりつつある」というのは、気になる
なあ! まあ、いいかあ。。。

 テレビからの情報では、おみくじは「凶」と出たら利き手と反対の手で
枝に結び、「吉」と出たら、財布の底に入れておくとあった。
 とりあえず、財布にしまっておこうっと。    

 その後、お札を買ってお昼にする。
Suzume1
(クリックで拡大)

お稲荷さんときつねうどん、それにお目当ての焼き鳥
を注文する。
 手前のが、「寒スズメ」で、奥のが「ウズラ」で、それ
ぞれ400円、800円位であった。
 味はというと、甘辛く佃煮風にしてあるので山椒の
風味のかしわの味としか言いようがない。
スズメのほうは、骨っぽく、骨ごとガシガシ食らうと滋養になりそうであった。
 ウズラは、骨は硬くてより分けなくてはならずめんどくさい。
感想はといえば、「まあ、こんなものか」と言うのみ。

 ちょっと拍子抜けだが、初めての体験としてはいろいろと面白かったの
である。

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January 04, 2008

「ダジャレ好き」

Sikuramen


 ダジャレが大好きである。
落語なんか聞いていても、単なるダジャレで落ちがつくことも多い。
 考えておいて披露するのもあるが、即興で駄洒落がうまく言えることは
めったにない。
 「おじんギャグ」だと不評なことがほとんどである。
でも、それもこちらとしてはおもしろい。
 「笑わなアカンのかな?・・・あまりおもしろくないし・・・」と困ったさん顔
を見ていると、こちらが笑えて来る。
 すべっても、それはそれで笑えるのである。

友人から送ってきた、「サラリーマン川柳」の中からピックアップ。

 「くびれなく 胴でもよいと ふて腐れ」 (メタちゃん)

 「ついさっき お辞儀した人 誰だっけ」  (忘走気味老人)

ほかに、作家:山本一力さんのエッセー「おらんくの池」の中にこんな話
がある。

 ずいぶん昔の話らしい。

銀行のロビーは人であふれている。
 順番待ちの名前を呼ぶ声が、あちこちで飛び交っていた。
その騒音に負けまいとしているのか、行員も大声でやり取りをしていた。
 そんなとき、一人の女子行員がカウンター近くのデスクに急ぎ足で寄
ってきた。
 忙しさゆえか、役職者らしい行員のデスクに向かう彼女の顔がひきつ
っていた。
 「課長!」
彼女は何人もの客が目を向けたほどに、通る声で呼びかけた。
 「ダイテください!」

 客には、「抱いてください!」と聞こえた。
ロビーが一瞬静まり返った。そしてざわめきが隅々にまで広がった。
 
「お客様、誤解なさらないでください。”代理人手形”をわれわれは
代手(ダイテ)”とよぶものですから」

 ロビーに向かって弁解した課長の顔をわたしは今でも覚えている。


これは笑える。
 ざわめきと、切羽詰った緊張感との対比と課長の必死の言い訳は
おもしろい。
 その場に居合わせたかったなあ・・・。 

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January 03, 2008

「謹賀新年」

Hatumoude

初詣(上の画像のクリックで大きくなるはずです)


 数日のご無沙汰で、遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしく、「かずぼうの日記」をお願いいたします。

 昨年以来、パソコンが調子悪く、反応速度も遅くなってきたし、CPUの冷
却ファンは芯がぶれているのか雑音が多くなりうるさいし、時々おせっかい
にも、「ファンが回っていませんよ、いいんですか?」などとパソコン画面に
出るようになってきました。
 パソコンは詳しくないのでよくわかりませんが、メモリーも足りなくなってき
たとか、CPUが古いとか、いろいろと不都合があるんだと思います。
 パソコン通は、「数年立てば、パソコンのリニューアルが必要なのは常識
ですよ!」とのたまう。

 年末には、パソコンがとうとう立ち上がりにくくなってきたので決心した。
CPU,マザーボード、メモリー、OSの総移植である。
 といっても、かずぼうにできるわけもなく、強力サポーターにお願いした次
第である。
 OSも、ウィンドウズ2000からXPに変えたのもあって、混乱が今まで続き
ようやく復帰したのである。
 あーあ、疲れた!!!

まだまだいろいろと不十分で、完全復帰はいつのことやら・・・?
 
 それにしても、年末はいろいろトラブル続きであった。
仕事仲間との忘年会後に、ボーリング3ゲームと卓球をして体中コリコリの
後、翌日は大掃除。
 その後大阪で忘年会をひとつこなし、一泊後帰ってきて31日のこと。

早朝、愛犬アレンを連れて、いつもの川沿いをお散歩。
 最近は、自転車に乗って併走している。
右手はハンドルを握り、左手はリードを持ち片手運転。
 アレンは力が強いので、グイグイ引っ張ってもらっていました。
結構気持ちよく走れ、悦に入っていた。

ところが、アレンは枯葉が舞うのを追っかけるのが大好きなのです。
 気をつけていたのですが、突然の突風に枯葉が舞うのを急旋回して全
力疾走するアレン。
 あえなく、僕は自転車から落とされて地面にたたきつけられました。
仰向けにひっくり返って、しばし呆然と天を仰ぐ有様。
 アレンは、「どうしたの?何かあったの?」と走り寄って顔をなめる。
ズボンは破れ、左ひざは血がにじみ、体中のあちこちが痛い・・・。
その割に幸運にも、ひざの擦り傷のほかはたいしたことなし。

 まあ、最後に「落ち」がついたということで2007年は過ぎていったので
ある。
 ということで、言い訳に始まる新年です。 

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