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December 27, 2007

「エキスプレス・レーンとは」

Xmas2_4

        もうしまいましたが・・・

 歳の瀬も押し迫ってきた。
例のごとくバタバタした年末である。
 内緒であるが、今年は、超忙しい中ではあるが無視してハワイへ行っ
た。
気分転換には旅行が最適である。
 それが海外旅行であれば申し分ない。

ハワイは初めてで、興奮する。
 ハワイ通に言わせると、ハワイはのんびりできる。天候がいい。吹く風の
さわやかさが最高に気持ちいいのだそうだ。

 長い機上の後、常夏のハワイに着く。
旅の"かずぼう"流は、まず旅先の市場かスーパー探訪することである。
その土地の文化にじかに触れることができると信じているのである。

 とりあえず、近くのスーパー・マーケットへ行った。
24時間オープンの「スター」とかいう名前だった。
 大きなスーパーで、まずその品数の多さに驚く。
果物も半端じゃなく種類が多く、彩りも鮮やかである。
 表示もいろいろ日本とは違う。

果物の下に黒板にチョークみたいなので書かれた「LB」ってなんだ?
 どうも、「POUND」のようである。
1パウンドは、450グラムくらいで、結構多い。
 「EA」というのは、EACHのことで、”1個あたり”らしい。

魚コーナーでは、「SNAPPER」という日本の鯛に似たのがあった。
 色も薄く、外人顔の足の長い白人みたいだ。
やはり日本の鯛の方がうまそうな気がするので買うのはやめた。

 たどたどしい英語で店員に尋ねて、シリアルコーナーへ行ってみる。
何しろ種類が多い。多過ぎる。どれを選んだら良いか皆目わからない。
 英語をいちいち読むのも面倒なので、表示写真のきれいでうまそうなの
を選ぶ。 

 買い物はそれくらいにして、レジへ向う。
はしっこに、「エキスプレス・レーン」の看板が目に付く。
 これは「ハワイの旅本」で勉強してきたぞ!
「クイック・レーン」とも言われ、買う品数が少なく、急いでいる人のため
のレジである。
 日本でも、混んでいるレジに並ぶとき、できるだけ早く済ませたいので、
どこに並んだら良いか悩むときがある。 
 欧米では、急いでいる人のために、買う品数が少ない人専用のレジが
あるのである。
 欧米では特に、1週間くらいの分を一度に買って大型冷蔵庫に放り込
む習慣があるようだ。
 そのため、めった山のように買い物をする人が多い。
だから、「エキスプレス・レーン」があるのだと思う。
 表示は、「8 ITEMS or LESS」と書いてあるから、品数8個以内の人
専用レジであろう。
 これはいい!!
なぜ日本にないのか、よくわからない。
日本でも週末のレジは大混雑である。
 特許のためか、必要性を感じないのか・・・。
日本に帰ったら、在所の「バザールタウン」に同級生が働いているので、
彼に進言しよう!

 そう思いながら普通のレジに向うと、派手なピンクのアロハを着たかわ
いい娘が、「ハロー!」と笑みを浮かべる。
 「キャッシュ、オー、チャージ?」
ウム、現金か、または「チャージ」・・・、「チャージ」って何だっけ?
 あっ、そうか、ここはクレジット・カードが効くんだ。 
これも便利だなあ!
 これも進言リストに載せようっと・・・。

「キャッシュ、プリーズ!」で、何とかその場を切り抜けた…
 緊張のしっぱなしである・・・・・・

れれー!なぜ僕はベッドの上に寝ているんだ???
 なあーんだ、夢か・・・
それにしても、妙に鮮明な夢だった。

 言わば、"かずぼう"の、年末夢である。
こんなに記憶が詳細なのは、前にNHKの教育の英会話番組である「チェ
リッシュのハワイでハッピーステイ」という滞在型英会話を観ていたからで
ある。

 来年こそは、「ハワイへ行こう!!」と鬼に笑われた"かずぼう"でした。

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December 21, 2007

「中年とは」

Engeltrampet

      しばらく前に散歩中に見つけた花
         今は跡形もなく散っている
       名前はエンジェルトランペットという
      下向きに咲く花なんて不思議な花である

 
 「中年」というのは今まで幾度も何才から何才までだろうと考え
たことがある。
 結論はいまだに出ていない。
なぜ今ごろこんなことを話題にするかというと、本の整理をしてい
て、曽野綾子著「中年以後」という本を2冊見つけたことによる。
覚えがないが、この同じ文庫本を2冊見つけたときはびっくりした。
 表紙の男性の横向き半身彫刻は、はっきりと見覚えがあった。
クスノキを素材とした木彫りの半身像は、現代彫刻で有名な舟越
桂の作品だとずっと思っていたが、イラストレーターの大森せい子
さんの作品の間違いだった。
 それにしてもよく似ている。

それはさておき・・・
 若者というか青年は、30歳未満で、初老は40才だから、中年は
青年と老年の間だから、30~40才という人がいる。
 それは何でも、早すぎるだろう。
青年会議所の卒業が40才らしいし、平均寿命の延びた現代では、
中年は40~59才くらいかなと思う。

 元厚生省で、50~60才の中高年層を「実年」と呼ぼうと言って
いたときがある。
 また老人は最近は、70才以上だと言う人もいる。

もともと英語のMIDDLE AGE というのを「中年」と訳して、30
~59才とした人がいたらしいが、そのとき欧米では50~64才ま
でをそう呼んだという。

 結局諸説あってよくわからないのであるが、曽野綾子さんは本
の中で、「中年」をこう定義している。

 私は男性が色気を感じる女性というものを推測することもできな
いが、人間はいつもベッドインしたい異性とばかり付き合っている
わけではない。
 その時々で、料理のうまい人とか身の上相談をしたい人とか、
一緒にオペラに行くと楽しい人とか、何もお互いのことは言わない
けれど、その人が黙って生きている姿が好きな人とか、さまざまな
要素で惹かれるはずである。
 というか、モデルさんの外見とは全く別な人間の持ち味のおもし
ろさに惹かれるようになるはずである。
 そして、それが「中年」というものなのだ。

言いえて妙である。
 この文章の「男性」と「女性」を置き換えても充分通じるところが
あるのもおもしろい。
 「中年」になると、世の中のことや政治、経済もろもろのことが、ち
ょっと・・・、いや結構わかってくる。
 予想が尽くし、「こんなもんだろう」とあきらめる。
あきらめるというか、明らかになるというのが本当であろう。
 「中年」とはよく言ったもので、「中庸」に似ているとも思う。
人生がジワーッとおもしろくなってくるのも、中年以後と言えよう。 
   
 

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December 20, 2007

「ストレスとは?」

Xmas1


 もう今年も後2週間足らずとなった。
近ごろストレスが増えてきたような気がする。
 でも「ない!」と言えばない。
いや、いつもあるというのが本当だろう。
 いいストレスと悪いストレスとがあるのであろうか?

ストレスというのは、たとえばボールに圧力がかかって、ひずんだ
ような状態をいう。
 心身に負荷がかかった状態なのである。
寒冷・外傷・疾病精神的緊張などが原因になって体内で起こる非
特異的な、体の防御反応と定義していることもある。

 この言葉は、1936年にカナダの生理学者ハンス・セリエ博士がイ
ギリスの雑誌「ネイチャー」に「ストレス学説」というのを発表したこと
が起源だという。 

 人を、さまざまな刺激が何もない、ストレスのない状態におくと体
温調節機能は低下し、暗示にかかりやすくなり、果ては、幻覚や妄
想まで起こるらしい。
 適度のいいストレスはある方がいいようである。

遺伝学者・村上和雄は「日々のストレスを味方につける考え方」を
すすめている。

 陽性のストレスは、笑うことや、何かを喜ぶ気持ちです。
それは、いい遺伝子のスイッチをオンにしてくれます。
 一方、陰性のストレスは、不安や悩み、怒りなどであり、悪い遺伝
子のスイッチをオンにしてしまいます。
 そして、ストレスが陽性になるか、陰性になるかは、その人次第で
す。
 つまりストレスに、いいストレスと悪いストレスの別があるのではな
く、あるストレスをどう受け止めるかで、いいストレスにも悪いストレス
にもなりうるわけです。
 たとえば上司や先輩に叱られてストレスを感じても、「ありがたい、
成長のためだ!」と前向きに受け止めれば、ストレスは強い見方に
なってくれることでしょう。

 そうか、さまざまなストレスも「ありがたい!」と感じて、陽性のスト
レスに自分で変えればいいんか。。。

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December 18, 2007

「ボランティアとは」

Kanzakura

        寒桜だと思います

 ボランティアとは、元来ラテン語で志願兵のことを指す。
みずから喜んで、自発的に兵隊に応募することである。
 反対語は、徴募兵である。
赤紙一枚で、徴兵されることなどである。

 それから、"ボランティア”というのは、自由意志で、喜んで他人の
ために活動する全般を指すようになった。
 
 日本では誤用され、奉仕活動や無償の労働全般を指している。
まあ、誤用というか、そういう慣例になって使用されているのだろう。

 玄侑宗久著の「自燈明」によると、ボランティアも、キリスト教的と
仏教的と2種類あるという。

 キリスト教的なボランティアとは、聖書にあるように、「己の欲する
ところを人に施す」が基本にある。
 仏教的というか東洋的には、孔子の「論語」にあるように、「己の
欲せざるところを人に施すことなかれ」が基本である。

 どう違うかというと、キリスト教的には、この「己の欲するところを
人に施そう」という考え方は、やがて「正しさ」というか、「正義」に行
き着くところである。
 この「正義」というのは、"かずぼう"に言わせると、結構曲者である。
 「正義」を振りまわすと、「そんなもの、別に私は施して欲しくない」
という人とぶつかることになる。
 仏教的には、「己の欲せざるところは人に施さない」ということを基
本としている。
「私はこの人にとって、イヤなことはしていない」が大事なこととなる。
 「イヤなことはしていない」ということはなかなか自信につながらない
ことである。
 ところが逆に、「私はこの人にとって、いいことをしている」と思うと
自信ができてしまう。
 その自信がいずれじゃまになる。
ぶつかる原因になるのである。
 ですから、「私はこの人にとって、イヤなことはしていない」という
ことを中心に置いた方がいいと玄侑さんは言う。
 「この人が欲しているだろう」と思うことを、本当にこの人が求めて
いるかどうかは、わからないですよね。

 "かずぼう"も同感である。
自分のことを見極めるのさえむつかしいのに、人のことは、さらにむ
つかしい。
 玄侑さんも言うように、「やむをえざる」こととしてさまざまな事態を
受け入れあまり自由意志を振りかざすよりも、観音さまのように「応じ
る」ことでご縁を生かしてゆく。
 そういう態度でこそ、すばらしいボランティアの花も咲くのでしょう。
 

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December 14, 2007

「哲学について」

Susuki1


 昔、哲学の講義のときじゃなかったかしら?
先生に、突然「キリストの奇跡を信じますか?」と質問を受けた。
 情けないことに僕は、「考えたことがないのでわかりません」と
答えたことだけを覚えている。

 哲学というと以前に、「誰にでもわかる哲学」とかいう本を買った
ことがあるが、やはり僕にはわからなかった。
 というか、興味が持てなかった。

 ハイデガーは、はげている人かと思ったし、西田幾多郎は”ゲゲ
ゲの鬼太郎”なら知っているのにと思った。
 
 何かの本で、日本で一番わかりやすく、哲学用語などを一切使
わない哲学書があると聞いた。
 何でも昔、「朝日ジャーナル」という賢い人だけが読む雑誌で連
載していたこともあるらしい。
 解剖学者の養老猛司さんが、「なぜかは知らない。ただひたすら
に哲学しておられる。そういう印象があった」と評している。

 それは、1921年岡山県生れの大森荘蔵という人であった。
1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、1949年同大学
文学部哲学科を卒業する。
 その後、講師、助教授を経て1966年東京大学教養学部教授(科
学史・科学哲学科)となる。
 この辺で、僕なんか「はっはははーー」とこうべをたれる。

彼の1981年初版のエッセイ集「流れとよどみ」の中の「真実の百
面相」という章には次のような文章が載っている。

 「本当は」親切な男が働いた不親切な行為は嘘の行為だといえ
ようか。その状況においてはそういう不親切を示すのもその親切
男の「本当の」人柄ではなかったか。人が状況によって、また相
手によって、様々に振舞うことは当然である。部下には親切だが
上役には不親切、男には嘘をつくが女にはつかない、会社では陽
気だが家へ帰るとむっつりする、こういった斑(まだら)模様の振る
舞い方が自然なのであって、親切一色や陽気一色の方が人間離
れしていよう。
もしいて「本当の人柄」を云々するのならば、こうして状況や相手
次第で千変万化する行動様式が織りなす斑なパターンこそを「本
当の人柄」というべきであろう。そのそれぞれの行為のすべてが
その人間の本当の人柄の表現なのである。

 論理的である。
そして、何か救われるような感じでもある。
 こういう哲学の話は面白そうである。

   早速、アマゾンで・・・。(またかよう!)

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December 13, 2007

「赤ワイン好き」

Sazanka2

       サザンカのーう、やあーどうー!

 弁護士でありワイン評論家・山本博氏の話である。
戦後、3回のワインブームがあったという。
 オリンピックの後、バブルの時代、そしてボージョレ・ヌーヴォー。
その後は、1997年に始まった平成の赤ワインブーム。
 そのときは、フレンチパラドックスとやらで健康にいいともてはやされた。
かずぼうも例に漏れず、「赤ワイン大好き人間」である。
  白ワインだと頭が痛くなり悪酔いするという理由もあるが)

 日本に赤ワインが入ってきたときは、人気がなかった。
甘味を添加した「ポートワイン」、「蜂ブドー酒」は大ヒットした。
 これは、赤ワインの渋みが日本人に合わなかったからである。
もともと赤ワインは、肉や油脂系の料理と共に飲むと、口がすすがれ、さ
っぱりして食事がおいしくなる。
 日本の伝統的な魚屋野菜中心の食事には合わなかったのである。
最近は、油脂系の食事が多くなり赤ワインがもてはやされることになる。

 しかし、かずぼうは、赤ワインのタンニンの渋みをこよなく愛し、アテの肴
なしでも楽しめる。
 ブルーチーズやウォッシュタイプのチーズがあればそれに越したことはな
いにしてもである。

 だって、おとなの男の嗜好品っていうものは、苦いものでしょう?
葉巻などの煙草にしも、コーヒーにしても、抹茶などのお茶系も、元来渋い
ものと相場が決まっている。
 だけど、赤ワインをアテなしに飲むのは、「邪道」だと顔をしかめられる。
まあ、好き好きといえばそれまでではありますが。

 言うじゃないですか、「亭主の好きな赤烏帽子」って・・・。
     違ったっけ? 違うよね。
 「あばたもえくぼ」    これも違うか?

 じゃあ、「蓼食虫も好き好き」かな・・・? 
柳蓼は、辛いというか苦いというか、刺身のつまにもたまにあるし、鮎の
塩焼きには欠かせない。

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December 12, 2007

村上龍著「案外、買い物好き」

Karasu

     散歩の途中で見た庭につるしてある
     カラスの死骸のプラスチックの作り物
      カラスが来ないようにかな?


 友人のAさんから、メールが来た。

    お久ぶりです。
    元気してますか?
    今読んでいる村上龍の最新刊「案外、買い物好き」のうんちく話で、
    あなたを思い出しました。
    まだ死んでないけど。
    わたしの好きな話題が多くて面白いです。


 村上龍は、1952年長崎県生れで、76年「限りなく透明に近いブルー」
で第75回芥川賞を受賞した作家である。
 少し好奇心にかられて、例によってアマゾンでその本を注文した。

読んでみると、うんちく話好きは、かずぼうと似ているかもしれないが、買
い物の質が当然ながら全然違うのである。

 彼は、ミラノのモンテ・ナポレオーネにあるお気に入りのシャツ屋へ行っ
て、シャツを7、8枚と、ネクタイを3本ほど、それにサマーーセーターを2枚
とトランクスを6枚ほど、さらにTシャツを11枚ほど買って、約40万円くらい
の買い物をする。

 かずぼうは、ふだんは自分で買うのは、もっぱらユニクロで、この間は、
ユニクロまで行く時間がなかったので、近くのキャラジャで、下着を4枚ほど
白い靴下を3枚組み、バーゲンのフリースを1枚買って、全部で1万円くらい
になって、「今日は高い買い物をしてしまった・・・」と反省している。
 大違いである。
うんちく話を、とうとうとしゃべるのは少し似ているかなと思うが。

 その本を読んでいて、面白いなと思える部分があった。

それは、彼がある若いイケメンのF-1レーサーにインタビューしたときのこと
である。

 彼は、質問する。

「F1ドライバーは、レース以外にも、マシンテストやタイヤテストなどでしょっ
ちゅう走らなければいけないし、体調にも細心の注意を払わなければいけな
いので、羽目をはずしたりなかなか出来ないですよね。普通の若い男みたい
に、お酒を飲んで女の子とデートしたり、映画を見たり、パーティーに行ったり
したいと思わないのですか?」

 若いレーサーは、次のように答えた。

「ぼくだって、女の子と遊びたいと思うこともあるし、それがどのくらい楽しいか
も知っているつもりです。気に入った女の子と一緒に楽しいときを過ごすと、と
てもいい気分になります。ただ、そのいい気分がどのくらい長く続くかというと
よくわかりません。しばらく続くでしょうが、何日も、何ヶ月も、何年も続くもので
はないと思います。
 それで、F1マシンでいい走りをすれば、ものすごい達成感がありますし、レ
ースでいいタイムを出すと、本当に有頂天になります。
 そういうときに考えるんです。もしグランプリで優勝したら、どれほどいい気分
になれるんだろうってね。さらに、年間チャンピオンになったら、どんなにいい気
分になれるんだろうって、想像するんです。女の子とデートしたいし、人生を楽し
みたいし、いい気分になりたいと、僕もそう思いますよ。
 でも、それよりも、これさえ達成したら、喜びや、いい気分が一生続く、というよ
うな何かを、やり遂げたいと思うんですよ。
 ぼくにとってそれは、F1を通じて達成されるものなので、女の子と遊べないと
か、デートする時間がないということは、苦痛ではないんです」

 かっこいいなあ!
村上龍さんも、自分が長い長い書下ろしを脱稿したときに、そういう感じ、つまり
非常に静かな充実感、達成感のある"いい気分”を抱いたらしい。

一生続く"いい気分"というのは、かずぼうにとっては、何なんだろう?
 うううぅーん、ようわからへん・・・。

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December 11, 2007

「洗濯板」

Senntakuita


映画「続・ALWAYS・3丁目の夕日」のワンシーンで、作家志望の茶川竜之介
(吉岡秀隆)のところに同居している古行淳之介(須賀健太)が、たらいに洗濯
板を立てかけてゴシゴシ洗い物をしているのを見た。
そのシーンに憧れてではないが、最近洗濯板を使用して下着や雑巾などを洗っ
ている。
 やってみると、石鹸をつけて、ゴシゴシともみ洗いするというのはよく汚れが
落ちるものなのだ。
 シャツの袖口、えり汚れなどの頑固な汚れは、洗濯機を使う人も石鹸をつけて
もみ洗いをすることもあると聞いたことがある。

 洗濯板の使用というのも馬鹿にならない。
結構、力仕事でもある。
 洗濯後の水のねじり絞りもかなりちからがいる。
そして、干す前に生地を引っ張って伸ばす。
 時々手でパンパンとたたく。
結構、達成感がある。

お寺の作務という修行のつもりでもある。
 また、うろ覚えではあるが、昔、リフキンだったかの「エントロピーの法則」と
いう本を読んだことがある。
 環境についての本だったか、エネルギー問題や環境問題は如何にエントロ
ピーを減らすか?が重要と書いてあったような気がする。
 かずぼうは物理というのが苦手で心もとないが、例があげてあった。

人間は、洗濯機を発明して楽になったが、そのおかげで運動不足になり、ラン
ニングマシーンのような運動器具を使わねばならなくなる。
 これをエントロピーが増えたという。
環境問題を考えると、低エントロピー生活(低エネルギー生活)をしなければな
らない。

 と書いてあったような・・・。
あまり自信がない。 m(--)m

 とにかく、何か、なつかしき昭和30年代に帰ったようでノスタルジックである。
あのころの生活のほうが"ほんもの”であったような・・・。

 便利になるとか、機械に頼るとか、そういうことは何か「地に足がついていない」
というか、不安なのね。(ただ文明についていけていないだけかも)
 それがまたエネルギーの無駄遣いになるとも感じる今日この頃です。
 
 

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December 09, 2007

「阿弥陀堂だより」

Komainu1


 南木佳士さんの原作で、監督・脚本:小泉堯史の映画「阿弥陀堂だより」
を久しぶりにビデオで観た。
 さわやかに吹き抜ける風を感じる作品といわれ、心を病んだ妻の回復を
静かに見守る夫の姿をとおし奥信濃の自然の中、むつみあって生きる人々
を日本の原像の一端として描かれている。
夫婦役は、寺尾聰と樋口可南子が演じていた。 

 その映画の中のワンシーンのことである。
夫婦は恩師である田村高廣を見舞う。
今は引退していて、癌を患って療養中なのである。
見舞った彼の書斎の壁に飾ってある額の言葉が強く心に残っている。

 「人の世話にならぬよう
    
     人の世話をするように

         決して報いを求めぬよう」


 いい言葉ですよね。
心に染みとおります。
 誰か偉い人に筆で書いてもらって、額に入れて飾りたいものだ。

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December 07, 2007

「サムシング・グレート」

Photo

       柿の木に登っている猫
           柿を食べるつもりかしら?


 遺伝子研究で世界的に有名な村上和雄教授(1936年生まれ)は、
たくさんの本を出したり、講演に全国を駆け巡っている。
 そして、科学者であるのに、「こころ」について多くを語り、宗教的で
さえある。
 彼の言説にエビデンス(確証)がないとかいわれて批判もあるが、
かずぼうにとっては大好きな人のひとりである。

 彼は、"サムシング・グレート"についてこう語っている。

「いただきます」、「もったいない」、「御蔭様」といった日本独自の文化
的な考え方は、なかなか英語に訳しがたいことがあります。
「ありがとう」にしても、英語のサンキューとは異なるニュアンスがある。
 これはなぜだろうかと考えると、これらの言葉の背景に大自然とか宇
宙というものがあるからではないかと思うんです。
 人間は自分の力だけで生きているのではなくて、大自然のお蔭で生
かされているという感覚です。
 「御蔭様」、「ありがとう」という言葉には、大自然に対する感謝が入っ
ているのです。
 「ありがとう」というのは「有り難い」ということです。
人間の存在というのは、その細胞1個が出来るのだって、1億円の宝く
じを百万回連続で当てるよりもはるかに不思議なことが起こっている。
 だからわたしの存在も有り難いのだけれど、隣りの人もまた有り難い
存在なんですね。
 そして、存在そのものが有り難いと思えるのは、その背後にサムシン
グ・グレートを感じる感性があるからでしょう。
 これは全世界に通用する考え方だとわたしは思うんです。
サムシング・グレートは、国も民族も超えるわけですからね。

 …と、日本的考え方を誇る。
そして、それを日本人として、世界に発信していかねばならないと説く。

サムシング・グレートの存在っていうのは、わかるなあ!
「何か未知なる偉大なるもの」でしょう。
また、日本人の個人個人がそれを自覚して行動してゆくことが大切か。
 ううーん、世界に発信っていうのは責任重いなあ!


 

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December 06, 2007

「こころをうつす鏡」

Kongouin2


 「鏡」を広辞苑でひくと、”光の反射を利用して人の姿や物の像など
をうつし見る道具”とある。
 味も素っ気もない。

たとえば、ある人の書棚を見て、どんな本を読んでおられるかを見る
と、その人の品性や好きなものがわかるということはないであろうか。
 これはその人の蔵書が、その人を”うつす鏡”となるのであろう。
その人の好きなもの、嫌いなもの、また好きな人、嫌いな人も、その
人をうつす鏡となる。
 食べ物、音楽もしかり!といえる。

また、好きな仏像の前に立つと、こころが洗われるように感じたり、癒
されたり、諭されたり、なぐさめられたりすることがある。
 これも、仏像そのものが"こころをうつす鏡”になるといえる。

「こころの問題」に関しては、現代はあふれかえっており、さまざまな
おぞましい事件が起こっている。
 そういった問題を扱うところがあるようでないのではないだろうか。

幸いに日本は、数々のたくさんの仏像が全国に存在する。
 この機会に好きな仏像を探して、その仏さまの前に立ち、手を合わせ
静かに目を閉じてこの身をゆだねてみるのも一興であろう。 

 いや、急にこんな話をしても変と思われようが、ただNHKの深夜番組
「にっぽんこころの仏像100選」の再放送を観ていて、いとうせいこう
さんの話に同感しただけである。
 しかし、モデルの「はな」さんが、あれだけ仏像が好きだとは、若いの
に不思議なことではある。
 ちょっと見直したな・・・。

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