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October 31, 2007

「徳」について

Syouwa2

        なつかしい昭和の食卓


 前回、「徳」について考えたがよくわからなかったので、松原泰道さんに
伺った。
 彼は明治40年生まれだから100才を超えていて、元龍源寺の住職で
たくさんの仏教に関する著書がある。
 仏教の面から「徳」についてお聞きした。(本をひも解いただけであるが)

彼は、「徳」とは、「生まれながらにその人に具わっていると思われる、他
から敬愛される豊かな心」と定義する。
 生まれつきでなくても後天的に身に具えることができるという注釈つきで
ある。
 
たとえば、リーダーの「徳」とは、宮大工の西岡常一さんの言葉をあげて
説明している。

 「塔組みは、木組み。木組みは、木のくせ組み。木のくせ組は人組み。
人組みは、人の心組み。人の心組みは、棟梁(とうりょう)の工人への
思いやり。工人の非を責めず、己の"不徳"を思え!」

 建築にあたり大切なのは、部下の大工を思いやる棟梁であるリーダー
の責任だという。

また、「徳」とは、こころを価値ある状態に置くことであり、少しでも世の中
のお役に立つよう、ひとりでも多くの人に喜んでもらえるようにという気持
ちの中に潜むものであるという。

 そして、「徳」を具えるのは、「陰徳」を積むことでもあり、"目立たぬように
際立たぬように、さりげなく”を三原則とする。

また、「徳」を積むことは、心を耕してゆくことで、何事も粗末にせず大事に
生かすという気持ちで、自分の心を耕し、人の心も耕してゆくことによって
心が柔らかく価値ある状態になってくるのだそうである。

 おかげさまで、かなり「徳」について理解が深まってきた。
      後は実行あるのみか・・・。
            それが一番厄介ではあるが。

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October 30, 2007

「人徳」ということ

Hirugao2

          ピンクのヒルガオ

 ある人からの「又聞き」なのであるが、いや「また読み」か。
ある人が、日経の新聞のコラムで、大阪ガスの元会長・大西正文さんの文章
を偶然読んで感動したという話である。

 「あすへの話題」というコラムで、テーマは、「21世紀の企業は、経営的人
間から人間的経営へ」というエッセイである。

企業のオーナーはもちろん会社を経営する能力が必要だけれども、これか
らはそれだけではなくして、人間を経営する能力を持たねばいけないという。

 企業の黒字経営を目指しながら、同時に、そこで働く社長以下の人間すべ
てが、働くことによって人間的に成長する必要があるという。
 つまり,その企業全体の経営的成長と、企業に働く人々の人間的成長と
が、バランスよく伸びてゆくことこそ21世紀の企業経営の理想だということ
だそうである。

 その人は、すばらしい考えだと感心し、同時に企業に働く人々の人間成長
に深く関与する要素の一つが,人徳というものではないかなと思ったという。

 人徳とは,「徳を積む人」のことだろう。
企業のトップに、「徳を積みこと」を要求されるのである。
 昨今の、企業や役所の不祥事を目にするたびに、この「人徳」の欠如には
目を覆うばかりである。

 「徳」とは、新名解・国語辞典をひも解くと、健康や生命に害のあること・・・
間違った、これは,「毒」だった。。。
・・・楽であったり、お金・時間がかからなかったりして、それをする意味がある
様子・・・これも違った、これは、「得」だった。
 あった、あった、心がきれいで、努力しないでも、すべての行いが人の模範
とするに足ること・・・これもなんだか違うみたいである。
 これか、「精神的・物質的に人を救済する善行」・・・少し違和感がある。

広辞苑を引いてみる。
 「心に得て行にあらわれるところ」・・・わかりにくい。
「人道をさとって行為にあらわすこと」…イマイチである。
 「道徳的理想或いは法則に従って確実に意志を決定することのできる人格
的能力。義務的善行為を選択実行する習慣。倫理学上最も重要な概念のひ
とつ」・・・・これでしょうか?

 白川静によると、甲骨文字では、大きな目の上に装飾をかぶった形で、司
祭王の目による呪力で土地を抑えることを意味し、それがやがて統治者とし
ての資質や自然万物を育成する力を表していったのだと考えられるという。

 「徳」には、いろいろあって、儒教、道家、陰陽家、法家、キリスト教、仏教、
倫理学、果てはプラトン、アリストテレスのいう「徳」のまであるようである。
 凡人の"かずぼう"には手におえない。
         誰か、ヘルプミーである・・・。 

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October 26, 2007

「フランスワイン事情」

Mirionkiss

     ミリオンキッス
    (百万回の接吻てか、名前がすごい!)

 あまり大きな声ではいえないが、宅の居間は、たいていテレビは常時オンである。
聞くともなしに、観るともなしに・・・。
 けれど、興味深い内容のときがたまにあり、重宝している。

昨晩は、ふと、特集番組で、"フランスワイン事情”を説明していた。
 何でも、フランスワインが新世界ワインの人気におされて苦戦しているというのだ。
チリとか、アフリカとか、オーストラリア、中国、インドなどの安価なワインにである。
特に、ブルゴーニュなどの小規模の酒蔵は、廃業の憂き目に遭っているという。
 
 フランスは、ECの規定にのっとった独自のワイン法によって規制され、品質を保っ
ている。いわゆる格付けっていう奴である。
 そして、最近は保護政策をとっていて、ECがワインを買い上げている。
昨今はそれを破棄しているというからよくわからない。
 みすみす、川に流されているワインを見ると、情けなくなる。涙が出そうだ・・・。
ただ、”もったいない”という思いもあるし・・・。 

 結局、手つくりのワインが、マスプロダクト、つまり「てまひま」かけるのではなく、
機械に頼ったり、安価な人件費で単価を安くしているワインに負けているというわ
けである。
フランスのワイン屋でさえ、需要に応じて新世界ワインを大々的に売り出し、フラン
ス人が、それを愛飲しているという状況らしい。

 フランスでも、中には二代目の若いワインの作り手が、その地域地域に特色の
あるカリニャンとかいうブドウを有機栽培でつくり、好評を得ているところもある。
           (不安定で、ブドウの木が弱く手間がかかり大変らしい)
また、ナポレオンも愛飲したというシャンベルタンのワインを、劣化などのおそれの
ないスクリュウキャップにして、なじみやすく敷居を低くしているシャトーもあるという。

 "かずぼう"は、もうかれこれ30年以上ワインは愛飲している。
といっても、ふだんは1000円前後のテーブルワインである。
 たまに奮発しても、3000~5000円くらいのワインだ。

フランスでも、経営が安定しているのは、10000円以上の高価なワインの作り
手だそうである。
 なかには、数十万円のワインもあるが、これらは一部のお金持ちの買い上げと
なる。
 中国や北朝鮮、アメリカンドリームの人たちの買占めであろう。
格差社会はこんなところでも存在するのである。

 ということで、ユーロの高騰、高価ワインの一部の人による買占めは、我々庶民
がワインを楽しむのに苦しい状況となっている。
 是非、ブルゴーニュの若いワインの作り手のように付加価値を見出し、おいしくて
リーズナブルで高品質のワインを期待したい。
 良質のワインを紹介し、育ててゆくのも今後、ソムリエ、ワインアドバイザー、ワイン
エキスパートたちの大切な責務となってゆくことであろう。
 頑張って欲しいものである。

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October 23, 2007

「村上和雄」

Kinnmokusei2

      金木犀の香りは、センシュアル?


 友人の若い坊さんから、「村上和雄さんって知ってますか?彼の話は面白
いですよ!」とメールがあった。
 早速ネットで探すと、彼について、たくさんの情報が載っている。

1936年生まれ。DNA解明の世界的権威。筑波大学名誉教授。
 世界に先がけ、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功し
一躍注目を集める。現在、ノーベル賞の有力候補とされる注目の人。
 科学者でありながら、哲学、宗教、宇宙観をも包み込む独特の世界観を展
開。著書多数。

 なかなかおもしろそうな人である。
善は急げ!と本屋に行く。
 なるほど、宗教コーナーに本が数冊並んでいる。
なるべく新しそうな「そうだ!絶対うまくゆく!」というソフトカバーの本を購入。

 読み始めると、グイグイ引きこまれて、一気に読了!

以下はその抜粋である。
(少し、”かずぼう”の解釈も混じっているので、誤解の点はお許しを・・・)

  
 DNAは、らせん状の2本のテープになっていて、このテープの上に、4つの
化学文字(塩基)で表される情報が描かれています。これが遺伝情報であり
1個のヒト細胞に含まれる遺伝子の基本情報は、約30億という膨大な化学
の文字で成立しています。
 これだけの情報量が詰め込まれた細胞が、成人ならば60兆個も集まって
ヒトの体は成り立っているのです。

 そして、どの細胞も同じ情報を持っているのだが、その部位の担うべき機能
は、「オン」、それ以外は「オフ」になっています。
 この電灯のスイッチのような、「オン」、「オフ」が重要なのです。

この「オン」「オフ」の調整役は、遺伝子に暗号が書かれているのだそうである。 
 そして、この調整役として働いているタンパク質は、ヒトの全DNAの3パーセ
ントに過ぎない。
 その他の遺伝子は眠っている。
したがって、ヒトの潜在能力というのはとてつもなく多く”底なし”といえるという。
 眠っている遺伝子を「オン」にすれば、未知なる可能性が花開くのだ。

活動の司令塔は、「脳」なのではなくて脳細胞であり、その脳細胞は、遺伝子
の命令で働いている。
 だから、「できない」の大半は「やらない」からである。
「できる」と思えば遺伝子は「オン」となり、可能性が広がる。
 自分で限界を決めてしまえば、遺伝子のスイッチは「オフ」状態になる。
「成せばなる!」、「たたけば開かれん!」というわけなのである。

 他に、"かずぼう"のように、できの悪い者にとって勇気づけられることも言って
おられる。

「この世の中に、ひとりとして同じ遺伝子の人間はいません。つまり、ヒトは平行
に並べられるものであって、優劣をつけてヒトをタテ並びにすることはできません。
 そういう意味で、”人は皆優れた能力を持っている”といえます。偏差値でランク
付けをするのは、ヒトをただ記憶力の優劣のみで判断しているに過ぎないのです」

 この遺伝子を、「オン」「オフ」にするのに、早い遅いはないそうである。
ただ実行すれば、いつでも可能だそうである。(年齢に関係ないということ)

 さあ、早速、眠っている遺伝子を、あふれる才能を・・・・、「オン」にしようっと!!

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October 22, 2007

「京都市立美術館」

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        岡崎にある京都市立美術館


 先週末、用事で京都へ行った。
翌日、時間があったので、京都市立美術館へ行った。

 特別展「京都と近代日本画」~文展・帝展・新文展100年の流れのなかで~
と銘うってある。
 日本画らしいとしかわからなかったが、とりあえず観に行ったのである。
恥ずかしい話、日本画家といっても上村松園くらいしか名前は知らないし、「へえ
ー!日本画って絹の上に描くのか?」くらいの知識である。

 それがですよ、ちょうど特別に、美術館員の人だと思うのですが、絵の説明を
してくれる時間だったらしく、人だかりが出来ていたんですよ。
これ幸いに、一番前に陣取って詳しくお聞きしました。

 その館員の人は、京都画檀の知識がとても豊富らしく、この美術館の歴史や
いかに京都の美術の発展を我々が支援してきたかをとうとうと語る。

 まずは、今回の特別展の由来である。
1907年(明治40)に、官設の文部省美術展覧会(文展)が開催されてから、
今年で100年となるらしい。
 それが、帝展、新文展と改組され、戦後の日展へと受け継がれているという。
萩の花咲く野原だったこのあたりが、今のような芸術エリアになった岡崎を誇らし
げにしゃべる彼は威風堂々としていた。

 ふと、堂本印象の控えめで精密な描写の日本画が目に付く。
彼って、光の描写で有名な油絵画家じゃなかったのか?
 当初は、日本画を描いていたんだ・・・。
彼も、パリで修行したりいろいろあったんだ。びっくりしたなあ!

 京都では、絵だけで食っていけないアーティストも多く、着物や陶器のデザイン
で食いつないでいたという逸話も興味深かった。
 
 画壇の格付け、評価に関しても確執は多々あったのだろう。
都路華香の「白鷺城」の入選に不満だった岡本清彦は着物の袖に隠し持った墨
から大きな筆を持ち出して、横真一文字に絵画を一気に汚したという。
 人生いろいろですかね・・・。

それから、上村松園が女性だからということで、実力がありながら画壇では、評価さ
れがたく苦労したという話なども初耳であった。

 ハイデッガーが言ったという。
「ヨーロッパの絵画は”代数”で、中国のそれは”幾何学”、日本のそれは”位相幾
何学”である」と・・・。

 "位相幾何学”というのは、空間の問題で、空間の出入りの自由さ、空間の足しも
引きも出来ない美しさとか・・・むつかしいことも言っていた。
 それにしても、その館員は、50代くらいのようですが、ぎっくり腰だったのか、杖を
ついてそろそろと忍び足で歩き、腰をさすりながらの説明ご苦労さんでした。

 何はともあれ、秋晴れの京都、芸術の秋、錦秋の一日は、有意義に感じられたの
であった。 

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October 20, 2007

「心に残る言葉」

Hato2

   鳩もこれだけ集まると・・・
         何食べているんだろう?


 テレビや新聞を見ていて、また本などを読んでいて、「おっ!」と思う言葉に
出会うことがある。
 つい、書き留めてしまうのである。
だからどうっ・・・てことはないが、習慣になっている。

   「人間は行動した後悔よりも、行動しなかった後悔のほうが深く残る」

これは、大和証券グループのテレビのCMからである。
 ギロビッチ博士の言葉なんだろうか?

 Lasting regrets result from the things we fail to do、

     not those we do.

当たり前のようだが、心当たりがあるので、心に染み入る。
好きな彼女に、当たって砕けろ!ということか・・・。
 ガクッと来る真実は同じなんでしょうがね。
 

 「己立たんと欲して、人を立つ」

孔子の言葉らしいが、それらしい言葉である。
 自分が立ちたいと思ったら、まず人を立てろってか・・・。
その通り!というしかない。
(これは、クレーマー処理のプロの「座右の銘」である。彼はクレーマーは敵
では ない” と断言する)


 「人間は結局、自分のやりたいことしかやらない。いや、自分のやりたい
ことしかやれない。と言ってもいい。
 いやいやながらそうする、という場合だって、与えられたその状況でできる
ことの中では、一番やりたいことをやっているはずだ。

             (『子どものための哲学』 永井均著より)

 これもうなづける言葉である。
そうなんだ!
いろいろ御託を並べても、所詮人間は"やりたいことしかやらない”という真実
は変わらないのか・・・。
 奥深い言葉だなあ!勉強になりますです、はい!
 

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October 18, 2007

「沖縄の文化」

Keitou

       大きな鶏頭(?)だなあ!

 沖縄といえば、3回ぐらい行っただろうか。
最初の2回は旅行社の斡旋で、連れまわされた。
 文化の違いが驚きで好奇心は満たされたが、料理は口に合わなかった。
沖縄料理はまずい!と勝手に思い込んでしまった。

 3回目は、マグロ釣りに久米島へ行ったときである。
久米島の人気の居酒屋で夕食を頂いた。
 ”バカうま”だった。
ナポレオンフィッシュのお刺身、ゴーヤチャンプルー、島豆腐に島ラッキョウ、
ミミガー、山羊汁、グルクンのから揚げ、モズク、海ぶどう、ソーキソバ、どれも
大変おいしく頂いた。
 赤や青の極彩色の魚の刺身なんて、食えたもんじゃないと思っていたが、
やはり料理は、材料の新鮮さや旬、料理人の腕によるのだということがあら
ためてわかったのである。
 その土地の料理は、"居酒屋”で食うに限る。
一遍で、沖縄のとりこになった。

沖縄に魅せられた人に、他に永六輔さんがいる。
 初めて訪れたのが、本土復帰前で、それ以来月に1度のペースで、もう何
百回も行っていられるようである。
 彼も沖縄料理が大好きである。

 ちょっと話が変わるが、彼が沖縄に行って何よりも感動したのが、生きてい
る人が、亡くなった人と仲がいいことだそうである。

 死者を偲ぶ時間がきちんと保たれているという。
そういえば、お墓も大きくて立派で、お墓の前にちょっとした個人個人の広場
見たいなのがあって、そこで法事も執り行われ、親戚中が集まって飲み食い
して騒ぐと聞いたことがある。

 骨壷も、内地のような大量生産のありきたりの白い磁器の壷ではなく、立
派で芸術的な厨子甕(ずしがめ)に納められる。
 以前は、人が死ぬとその遺体を亀甲墓という墓に安置して、1年後に洗骨
して骨を厨子甕に納めていた。
 この厨子甕は、伝統的に自分が入るものは自分で買っておくのだという。
自分のものを買わないうちに亡くなってしまうと、"お気の毒に”と言われると
いうから面白い。
 
 この厨子甕が、那覇の牧志公設市場の裏手にある壷屋という町で売られ
ているという。
 陶器の甕で、夫婦で一緒に入りたい場合は大き目の二人用、別々にとい
う希望の場合は小さ目の一人用と用意されている。

 1度是非、訪れてみたい!!
     (ひとり用か、二人用かどちらを買うのか・・・?)

”かずぼう”も、陶芸は趣味でやっているので、骨壷も作ってゆきたい。
 欲しい人は、予約を入れてください。

そういえば、水上勉さんも自分の骨壷を作っておられたことも思い出す・・・。
 

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October 17, 2007

「笑顔」

Hansyouzuru

      ハンショウツル(ちょっと古いか?)

 職業上の"笑顔”のすばらしさといえば、まずは航空会社の女性客室乗務員
があげられるだろう。
 自分に気があるのか?と錯覚しそうなほどの笑顔である。
他には、ディズニーーランド、ファーストフード、ファミレス、デパートの店員の"笑
顔"はすばらしいのである。
 スーパーのレジなどで、笑顔で両手を股下に添えて深くお辞儀をされると、され
たことがないので、自分がすごく偉くなったようで恥ずかしくさえ思う。
 昔、「お客様は神様です!」といつも笑顔を絶やすことがなかった三波春夫の
名言を思い出す。

社会学者のアーリー・ラッセル・ホックシールドは、「管理される心」(世界思想社)
という本で、女性客室乗務員が単に乗務員としての給仕などのサービスだけで
なく、笑顔などに象徴される心の領域も労働として提供させられるということを述
べ、それを「感情労働」という言葉に集約したという。
 渋谷望はさらに、「魂の労働」という言葉で言い表し、その典型が福祉介護の現
場にあるという。
 「ボランティア精神」や「福祉の心」という名のもとに感動ややりがいといったこと
が強調され、それとひきかえに苛酷な労働を強いられる現実があるという。

 また、営業担当者や就職活動をする学生を対象にした研修セミナーで、カリキュ
ラムの筆頭にあげられるのは「表情管理」ということで、笑顔や相手に共感を示す
表情を作ることは習得できる技術、ひとつのテクニックとしてとらえられる。
 言葉と表情を営業技術として習慣化し、「心」という内面から切り離すことで、サー
ビスする側が人として生き延びるための訓練なのである。 ・・・と、「暴走老人」と
いう本を書いた藤原智美は言う。

 はたしてそうなのであろうか?

病院でさえ、「患者さま」という言葉で、丁寧化笑顔の表情管理が進んでいる。
 学校もしかりである。
いまや感情労働は労働を超えて、ひとつの生活規範になりつつあるという。
そして、丁寧な口調と自己の感情から乖離した笑顔のコミュニケーションは、いかに
良好な関係に見えてもうわべのかかわりに過ぎない。
お互いの内面に降りてゆくことはない。
 つまり、回避し合う関係である。丁寧化と透明なルールにそった日常の和やかで
笑顔に満ちた関係は、ガラスのように壊れやすい結びつきでしかないばかりか、内
面的なかかわりを回避することで成立するのだそうである。
 この「真心のこもった」「奉仕の喜び」「感動」の応対は、その薄い氷上で展開され
る危険なゲームのようなものに見える。
 「心」がまるで市場で売買されているかのような時代、ズカズカと人の内面に押し
いって来るこの丁寧化は、人々を疲労困憊させる。
 だから、この急激な変化に戸惑いを覚え、ついてゆけない老人は、キレて、「暴走
老人」となるというのが、藤原智美さんの論旨である。

 納得いく面もあるけれど、そればっかしではないように"かずぼう"は思うのである。
日本古来の、「茶道」「華道」「剣道」「柔道」「坐禅」などを見てみても、まずは"かたち"
を重んじ、”かたち”からはいる。
 形をしっかり身につけるとおのずと、その精神も次第にわかってくるものである。
次第に、少しづつ確実に、その「こころ」を身につけるように思う。

そういう風に考えると、何事も”ほどほどがいい”という結論に達するようである。
 サア、今日から、割り箸を横にくわえて、"笑顔"の訓練を鏡を見て練習しようっと。
しかめっ面が、次第に真心のこもった本当の笑顔に近づけるように・・・。
 

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October 16, 2007

「禅僧・仙厓(せんがい)」

Kamakiri


 床に伏せって死ぬまぎわのときに、弟子が「辞世の言葉を!」と迫ったときに
小声で、「死にともない、死にともない」といった偉い禅僧がいたことは聞いたこ
とがある。
 それが誰だかは知らなかった。

一昨日、それが「仙厓」という禅のお坊さんであることを知った。

 「仙厓」(1750~1837)は、江戸時代後期に博多の臨済宗の禅寺・聖福寺
の住持をつとめていた。
 禅のお坊さんというのは、変人が多く、それがまた的を得ていて魅力的だったり
する。
破天荒坊主というわけであろう。
 彼も良寛さんと比較されるくらいに変人で、いろんなエピソードが残っている。
 
地位や名誉にこだわらず、修行中の身なのでと、一生墨染めの衣で過ごしたそう
である。
 暗に、紫や赤とか派手な衣を身につけ、地位や名誉にアクセクしたなまぐさ坊
主を皮肉ったのであろう。
 また、処世訓や禅のこころをわかりやすく絵解きしてくれるのが人気で、画賛を
描いてくれ!をひっきりなしに人に頼まれたのだという。
     (現在、残存しているのだけで2000枚以上はあるというからすごい!)
 なにしろ、デッサン力が確かで、絵が抜群に上手だったのである。
(後に、わざと下手に描くようになったのはなぜだろう?余計に味が出てはいるが)

 誰もが画賛を欲しがって紙を持って訪れるので、いやになった彼は、次のような
句をしたためる。

   「うらめしや わがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙をおいてゆく」

さらに、83才の時には、ついに絶筆宣言をする。

 「墨染めの袖の湊(みなと)に筆棄て 書きにし愧(はじ)を さらす白波」

しかし、その2ヵ月後、トドが捕らえられたと聞いて、持ち前の好奇心が頭をもたげ
いそいそと見に出かける。(本当はアザラシだったのだが)

 そして、絶筆宣言をしたにもかかわらず、画賛を描く。
よっぽど絵を描くが好きなのであろう。

 ところで、87才のときの辞世の句であるが、「死にともない、死にともない」では、
偉いお坊さんにしては、かっこ悪いと弟子達が思ったのか、さらに仙厓の口元に耳
を近づけて、「何ですって?」と問うと、「ほんまに、ほんまに」と言ったそうである。

 なんとも、かわいいというか、正直というか、面白い。

 10月28日まで「仙厓・センガイ・SENGAI」~禅画に遊ぶ~の展覧会が、東京
丸の内・出光美術館で開催中らしい。

 行ってみたいのは山々であるが・・・。

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October 08, 2007

「由良ヶ岳遊歩道」

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 昨日の日曜日、久しぶりに山に登った。
その山というのは、在所では「丹後富士」と呼ばれる由良ヶ岳である。
ここいらでは、三本の指に入る高い山である。(後ふたつは、青葉山と
弥仙山である)
 といっても、640メートルの近郊の低山であるが、頂上の展望は、360
度のパノラマで、絶景である。
 普通は、宮津の由良から約1時間20分の道のりである。

最近、舞鶴市が5000万円をかけて、上漆原のほうから登る遊歩道を
整備したという。
 早速、詳細を市に問い合わせて登山の計画を立てた。
市によると、家から宮津方面に車を走らせ、大川橋を渡って左に数分、
JAのところを右に府道・舞鶴宮津線を15分ほど走らせ、地蔵口のバス
停を右にデコボコ道の林道を約15分行くと、遊歩道口にたどり着くのだ
そうである。

 富士山のように見えるコニーデ型のきれいな円錐形の山容は、東西
方向だけらしい。
 南北方向からは、ふたつの山頂が見え、東峰、西峰と呼ばれる。
宮津からの山道は、東峰にたどり着くのであった。
 どうせならと、登ったことのない西峰をめざす。
看板には、急な勾配で1.4キロの40分の道程とある。

 最初の20分くらいは、日頃の不節制のためか、かなりしんどい。
「何で僕、こんなことしているんやろ?」とふと思いながら汗を流す。
 しばらくゆくと体が慣れてきて、快調にとばす。
急な勾配といっても、しっかりと階段がつけられ、あっという間に頂上に
着く。
 頂上は、秋の風にススキも揺れてさわやかである。
西峰からは、遠く天橋立、近くに火力発電所の白い塔が浮かび上がっ
て見える。
 誰もいない頂上で、絶景を望みながら、ペットボトルのお茶を飲み、コ
ンビニのおむすびをかぶりつく。
 「うまあーーい!」 

時間は、ちょうどお昼の12時。
 天気予報では、昼まで晴れていて、昼からは下り坂、夜には雨が降る
という。
そのために、また午後から用事もあるので、すぐに下山となる。
 ここからは、東峰には尾根伝いに、30分くらいで着くという。
東峰から、別の遊歩道にて、下山も出来ると聞いている。
 今度は、単独ではなく友人達を連れてワイワイ登リめぐる計画をしようっ
と・・・。

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October 05, 2007

「たとえばなあ・・・」

Sarusuberi

          隣の庭の百日紅


 友人に、あることを説明するのにすぐに、「たとえばなあ・・・」と例をあ
げる癖のあるひとがいた。 
 わかりやすいのであるが、真意が伝わらないきらいもある。
しかし、”わかりやすい”という利点は捨てがたい。

 主イエス・キリストは、彼のもとに姦淫の女が引き立てられたときに、
民に言う。
 「あなたがたの中で、罪のない者が、まず石を投げ打ちなさい!」

一方、仏教では、「とらわれるな」、「執着するな」ということを言いたいが
ために次のような例をあげる。

 ある有名なお坊さんが、仲のいいお坊さんと連れ立って修行に出た。
その道の中で、前夜の豪雨でできた大きな水たまりを前に立ち往生し
ている妙齢の娘さんに出会った。
 すると、仲のいいお坊さんのほうが、サッと近づいて娘さんを抱き上げ
水たまりを渡って下ろしてあげた。
 そのお坊さんが何事もなかったようにまた歩き出すと、連れのお坊さん
がカンカンに怒って、「おまえのような破壊坊主とは一緒に歩けん。修行
者が若い娘を抱くとは何事だ!」
 娘さんを抱き上げたお坊さんは悠然とこう返答した。
「なんだ、お前はまだあの娘さんを抱いているのか!」

 わかりやすいたとえですよね。
怒ったお坊さんは、煩悩に執着しているんですね。
 「一瞬、一瞬を大切に、一所懸命」というのはこういうことなんですね。
ううーーん、勉強になるなあ・・・。

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October 04, 2007

「久しぶりの英語のジョーク」

Yottohaba


     家から40分くらいの所に出来た
        新しいヨットハーバー     


 アメリカンジョークには、こんなのが多い。

 There was an old man who was married to a very young woman.
The old man was at a doctor for a checkup.
and the doctor said,
"Sir、today I will need a sperm sample、urine sample and a stool sample."
The old man looks at his young wife and says、 "What did he say?"
.
.
.
.
.
His young wife replies、 "He need a pair of your underwear."


おじいちゃん、人間ドックに行かされたのね!
 でも耳が遠くて、先生の言うことが聞こえなかったのね。
それで、若妻に聞いたのね。
 そしたら・・・。
     つらいのーう・・・。
  まだ毒を盛られるよりは、ましかな・・・。

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October 01, 2007

人生の枕言葉」

Hirugao

             ヒルガオ


 1907年(明治40年)生れの、前・龍源寺住職・松原泰道さんのことである。
彼は、今年で100才を向かえた。
 仏法を説く著作多数、講演も数え切れず、ますます元気な100才である。
彼は世の人に、常々、「人生の枕言葉」を持つことをすすめる。

 それは、帰路に立ったときの指針になり、人生をささえる糧ともなる教え
の言葉であるという。
 彼のすすめる「枕言葉」とは、次のようなものである。

1、一日一語
   「一日一字学べば、360字」というのが、江戸時代の寺子屋の教科書
    にのっているそうである。
   ものごとには積み重ね、持続が大切であると言う教えです。

2、おこるな・いばるな・あせるな・くさるな・まけるな
   特に「あせるな」は大事です。
   あせると、ろくなことになりません。
   自分の感情に負けないことが大切です。

3、無理をしない・無精をしない・無駄をしない
   お年寄りに対する言葉です。
   自分のことは自分ですることは、必須です。

4、私の目は2つしかない。 私を見る目は多数ある
   「お天道様はお見通しだい!」
   キリスト教でも、「神様が見ていらっしゃる」と言います。

5、心に受信装置を持とう
   感動するこころを養えば、希望が生まれ、希望を実現するためのクリ
   エイティブな創造へとつながり、感受性が高められます。
   僕もいつも思うのですが、好奇心という長くて鋭いアンテナをいつも頭
   の上にかざしていると人生は”面白いこと”に満ちています。

 100才の老師の言うことは、ダイヤモンドのように光っています。
 ”かずぼう”も、こころに書き留めておこうっと・・・。 

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