July 06, 2009

「初めての武奈ヶ岳」

Taki


 いつもの山仲間から、ひさしぶりにお誘いがあった。

「武奈ヶ岳に登りましょう!」
 「蒸し暑い毎日だから、涼しいところで、滝の周りをチョコチョコっと
巡って登りましょう!」

 武奈ヶ岳は、日本二百名山、近畿百名山に選ばれる比良山系の
最高峰として君臨する1214メートルの知る人ぞ知る美しい山である。

 隊長のSさんは、近隣の山のお誘いでも、簡単な山の場合などは
普通のコースではなく、わざと回り道などしてそれ相当の設定をする
人物である。

 彼は、おそがけに始めた山登りとはいえ、相当の経験をしている
ベテランクライマーである。
 ほぼ登山初心者のかずぼうとしては、自分の能力の少し上のコー
ス設定にならざるをえない。

 "滝の周りをチョコチョコっと歩く”ってか!!
本心は少しびびっていた。

 コースは朽木村とか安曇川近くにある滋賀県高島市、琵琶湖西部
のガリバー青少年旅行村が登山口である。

 そこから八淵の滝のある大擂鉢を経て、貴船の滝、七変返しの滝
を過ぎ、比良山スキー場跡、八雲ヒュッテ跡にたどり着く。

 登り始めてからすぐに、「八淵の滝方面は、鎖場、綱場がありますの
で初心者の方は他へおまわりください」の看板が目につく。
 隊長に、「大丈夫ですか?」と聞くと、「たいしたことあらへん!」のひ
と言。

 しばらくすると、ザーザーと滝の音が聞こえる。
水にぬれた岩は滑りやすい。
 "3点確保”、”岩に近づきすぎるな!”、”足場を確認”と隊長の罵声
がとぶ。

 「三点確保」とは、岩登りによく使われる言葉で、手足4本のうちのど
れかを動かすときに、残りの3点を確保しておくことである。
 当たり前のことではあるが、これをきちんと守らないと不安定で滑落
の恐れがある。

 体を岩に近づきすぎる、即ち岩にへばりつくようになると、足場に体重
がかからず不安定になるし、次のひっかかりに手を上げ過ぎるようにな
るので、疲れるし安定しないのである。
 これらは実践してみてよくわかった。

やっとのことで、比良スキー場跡についたのであるが、かずぼうは慣れ
ない岩登りで疲れきっていた。
 やはり余分の力を使い、余分の神経を使ったのであろう。
それに、メタボの肉体は、10キロの鉛をハンデにおなかに抱えていると
いえよう。
憔悴しきったかずぼうに、隊員その一さんは、心配そうに言う。

 「かずぼうさん、無理しなくてもいいのよ。ここで弁当を食べてゆっくり
休んで、帰ってしまってもいいのよ・・・」

隊員その一も、毎週でも山登りに行くというベテランクライマーである。
   (かずぼうは一応、隊員その二である)

あと2時間くらいで頂上と聞く。
 遠くに武奈ヶ岳の頂上が青空にくっきりと浮かんでいる。

おにぎりをひとつ食べ、お茶をグビグビとのどに流し込む。
 リュックを下ろし、流れ出る汗をタオルでふいて、ひと息つく。

「大丈夫です!行きます!」
 不安を抱えながら、自分に負けてなるものか!と勇気を奮い起こす。

 そこからは、イブルギノコバを経て頂上を目指す。
なんと2時間はかかりそうだったが、1時間あまりの行程だったのだ。
ああ、助かった!

頂上は、名山なので結構な人だかりである。
 
 「ばんざーい!!!」とうとう念願の武奈ヶ岳頂上に立ったのである。

Tyoujyou


あいにく眺望はガスにかかってイマイチであったが、達成感は最高だ!

缶ビールで乾杯のあと、隊長の準備の冷麺に舌鼓を打つ。

 帰りは、イブルギノコバでアシウスギ(芦生杉)の群に出会う。
「でっけーなあ!」何百年も生きているのだろう。
幹周りは5~6メートルはあろうか、貫禄である。
 日本海側の多雪地帯に自生する杉の変種で、まっすぐに伸びずに
幹の下部から大枝を出すのが特徴という。

Sugi_3


くだりは、少し八淵の滝とかを横切ったが、大体は単調なもので2時間
あまりの行程であった。
 途中、せみの合唱に暑苦しさを感じたり、小鳥のさえずりに聞きほれ
たり、汗ばむ体に自然の冷風を浴び快感!を感じたりした。

 登山後は、足はガタガタ、手はコリコリ、腰はヨロヨロのわが身を朽木
の温泉「てんくうの湯」でほっこり。

 おかげさまで今回も大満足の山行きとなったのである。

 
 


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July 01, 2009

「これでいいのだ!」

Tessen5


 最近は町田宗鳳さんの本を読みふけっている。
彼の著書「生きているだけでいいんだよー『臨済録』自由訳による」の中
にこういうフレーズがあった。

 ストレス解消法は、「生かされて、いまここにいる」ジブンにあります。
この世に生きているかぎり、ままならないことが多いわけです。
 どうせままならない世の中なら、「これでいいのだ」と開き直ればいいの
です。
 
 そして、ヒマラヤの僧院で厳しい修行をしてきたお坊さん・野口さんの詩
を紹介しています。

 
        これでいいのだ
 
        といっていると

        愚痴をいわなくなり

        不満がたまらない

        だから

        これでいいのだ!


        これでいいのだ

        といっていると

        求めなくなるのだ

        だから

        これでいいのだ!


        これでいいのだ

        といっていると 

        いらいらしなくなり

        おこらなくなるのだ

        だから

        これでいいのだ!


        これでいいのだ

        といっていると

        この世に嫌なことはななくなり

        嫌な人もいなくなる

        だからこれでいいのだ!

  この言葉どっかで聞いたことがあるぞ!!!
ううぅーーん、あっ、そうだ!
 天才バカボンのおっさんの口癖だった!

2008年、去年かあ・・・、 8月2日(土)に亡くなった天才ギャグ漫画家
赤塚不二夫の漫画の中の人物なのである。
 「おそ松くん」もよく読んだ?見た?ものである。 

ケムンパスの漫画をまねてノートに書き込んで練習したことを思い出す。

 どうも、野口さんと赤塚さんは通じているようなのである。
野口法蔵さんの本の中に「バカボン」の説明がしてあるそうなのである。

 「バカボン」は、御釈迦様の10の名前のひとつである。
至上の人を意味する「バッキャーボン」からの引用である。

 「天才バカボンのオープニングの歌」の”タリラ~リララ~ン”はチベット
のターラ菩薩の真言でもある。

 また、レレレのおじさんはお釈迦様の悟りを開いたお弟子さん「チュラ
パンタカ」がモデルにになっていて、彼は無能で物忘れがひどい人でし
たが、お釈迦様から「いつも掃除しなさい」、「チリ・アカを払いたまえ」と
いつも掃除をして悟ったお弟子さんなのだそうである。

 奥が深いなあ!!!
赤塚君も結構、博識じゃないですか。
 
      Kemunpasu


  

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June 24, 2009

「三助の効用」

Arenmayu2


 「三助」というのをご存知だろうか?
江戸時代から昭和の中期にかけて、銭湯で背中を洗ってくれる流しの
男衆の総称なのだそうである。
 今も東京にひとりおられるという話も聞くが、本当のところは知らない。

語源は、越後から江戸に出稼ぎに来た兄弟3人が、3人とも名前に「助」
がついていた。
 客が誰ともなく、3人を「三助さん!」と呼んだらしい。

全国に「子宝の湯」というのがあるが、不妊の女性がこの湯につかると
子宝に恵まれたという。
 「三助さん」が協力したんじゃないかという説があるが本当なのか、
単なるうわさか信偽のほどは不明であるが、ありそうなことではある。
 何しろ江戸時代のことである。

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June 22, 2009

「愚に還る」講師:町田宗鳳

Matida1


町田宗鳳先生というのは、1950年京都生まれで、現在は広島大学
大学院教授で、「比較宗教学」をおもに研究しておられる。
 
経歴は波乱万丈というべきだろう。
 先ずは、14才、中学2年生のとき出家する。
自宅が大徳寺のそばにあったということもあるが、幼い頃から病弱で
あった彼は、「死というもの」をよく考えさせられたという。

 それに、きびきびと作務に励む、りりしい若い修行僧を間じかに眼に
することがしばしばあった。
肉体的鍛錬にあこがれたのか、周囲の反対を押し切り出家を決意する。

 20年の長きにわたる修行の末、国際的禅学者の鈴木大拙に憧れ、
また日本脱出、世界に羽ばたくことを夢見た彼は幸運にもハーバード
大学の特別研究生として受け入れられ、神学を学ぶ。

 19年の海外生活の後、現在に至る。

偶然にも、彼の教育テレビ、早朝5時からの「こころの時代」という番組で
「法然を語る」というテーマで出演の町田宗鳳先生のことを知る。

 「興味深いひとだなあ!」と惹かれ、彼の著書をいくつかアマゾンで買
って読んだ。
それからしばらくして、縁があるのか、在所で彼の講演会があると聞いた
のである。

 「渡りに船」と勇んで、21日の日曜日猛暑の中、出かけた。

それは、かずぼうが座禅に通っている桂林寺の本堂で行なわれた。
 舞鶴宗教懇話会の創立5周年記念大会のイベントであった。
いろんな宗教の人びとのグループが世界平和を祈念し、各宗派の交流
を図り相互理解を深めるという趣旨のようである。

 1時半より、汗の吹き出るような熱気の中、講演会は始まった。
町田先生は若々しく、声のよく通るアルトの美声で、笑顔の絶やされな
い紳士然とされた人であった。

 講演内容も、スポンジに水が吸い込まれるような気分で、かずぼうの
こころに素直にしみわたる。

 金融危機に翻弄され、生きる意味や喜びを失った人々が増える中、
経済至上主義や物質文明のいきずまりが叫ばれ、混迷を深める社会
にあって、どうしたら平和に、生きる喜びを感じられるか?
 彼は、「愚に還れ!」とひとことほほ笑んで言う。

彼の研究対象・法然の言葉、「愚痴に還りて、極楽に生きる」から由来し
ているらしい。

 知性や理性を高く評価してきた近代文明において、人間がみずから
の中にひそむ”エゴ”という怪物の餌食になりつつある。

 近代文明は自然破壊と貧富の差の拡大によって"バベルの塔”と化し
崩壊の危機に瀕している。
 ""に徹することによってやさしくて慈しみあふれる信頼の世の中を
作ってゆきたい。

「本当に偉い人は、バカになれる人」と言い、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」
の詩を引用する。


   丈夫ナカラダヲモチ
 
   慾ハナク

   決シテ 瞋ラズ

   イツモシズカニワラッテイル
         ・
         ・  
         ・
   ミンナニデクノボートヨバレ

   ホメラレモセズ

   クニモサレズ
 
   サウイウモノニワタシハナリタイ

 最後に、"トイレ掃除の天才”ともいわれるイエローハットの創始者
鍵谷秀三郎さんを取り上げ、社長みずから率先してトイレ掃除やゴミひ
ろいに徹する姿をスライドに映し出し、「愚に還る」大切さを披露されて
講演は終わったのである。

 世の中には偉い人はたくさんいるものである。
それはお金持ちだとか名声があるとか肩書きがたくさんあるとというと
ではない。
 それは、毎日の平凡な生活を、丁寧に誠実に黙々と、愚に徹して送っ
ておられる人たちのことをいうのであろう。

 早速、帰ってから"トイレ掃除”に徹することにしようっと・・・。

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June 15, 2009

「ある全国行脚の托鉢僧」

Sandaru

      托鉢僧のはいていたサンダル

 昨日の日曜日、恒例として参禅会に行った。
いつもと違って、僧侶の方がひとり参加しておられる。
ちょっと緊張したが、副住職のお友達のようである。

 座禅が終わった後、紹介してもらった。
Tさんといい、63才で全国を行脚しておられ、富山、岐阜そして敦賀と
まわられて、今、友を訪ねて舞鶴に来られたそうである。
 1年のうち、10ヶ月は旅をしておられ、夏は北海道に向けて冬は九州
に向けて行脚していたが、今年は逆に今から九州に向かうという。
 副住職とは、年令はかけ離れているが修行道場に入られたのが同じ
頃であったそうである。

 彼は、現在いわゆる「雲水」というわけで、修養や教化のために処々を
遍歴することで仏道修行のために旅しておられる。
 生活は、「行乞」すなわち托鉢という形でお布施というか、物乞いのみ
で立てているそうである。

 1日、5~6時間、15キロくらいは歩かれている。
泊まるところは、安宿やユースホステルだそうで、食事は、1日コンビニ
弁当1個くらいの量で、いたって小食らしい。
 しかも、肉は食べない。
肉は、"血のにおい”がするので食べれないという。

 「小欲知足」ということはよく言うが、簡単に言うと「食べること」に尽きる
といわれる。
 食べるものを少なくすると、健康によいし、歩きがスムーズになるという。

興味津々となり質問させていただいた。

 「お寺の跡継ぎでもないのに、なぜ出家されたんですか?」

 「一級建築技師としてバンバンに働いていたんですが、あるとき急に、
  娑婆に愛想が尽きて出家という形をとったんです。
  今はひとり身で、保険も年金もなくサバサバしたもんです。
   病気になれば、お医者さんに見てもらうこともなく死ぬだけです」

 「托鉢中に、話しかけられるということはありませんか?」

 「田舎ではあまりありませんが、都会ではよく声をかけられ相談を受けます」 

 「なぜ、全国行脚してられるんですか?」


 「ひと言で言えば、”悟りを得るため”でしょうか。修行中ということです」

 「ひとりで寂しくありませんか?」

 「全然、寂しくなんかありません。毎日が充実しております」


 世の中には、えらいひと・・・変わったひとがいるもんです・・・。
うらやましいというか、感心するだけというか、とてもまねできません。

 苦しいこともあるけれど、楽しいこともあるので「娑婆」からはなかなか
抜け出れません。

 ひとつだけ”まね”しました。
”らぽーる”の靴屋で、彼と同じサンダルを買いました。
 とても歩くのに最適なサンダルで、年中同じサンダルを履いているそう
です。

まあ、まねするのは凡人には、サンダルくらいですかね・・・。

 

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June 08, 2009

「初めてのひとり登山」

Misensan


 この日曜日は、数人で伊吹山・北尾根の山歩きの予定だった。
隊長が急に都合が悪くなり、計画が頓挫してしまった。

 急遽、休むつもりをしていた週課となっている座禅会に出席した。
早朝6時からの、30分、30分の合計1時間の座禅である。

 今日の座禅中は、結構騒がしかった。
お参りの檀家の方が本堂近くを歩かれるパタパタという足音が聞こえた。
 さらに、外から進入したトンボや甲虫らしきやからが天上にぶつかる音
がする。
 これらの雑音に対しては、聞くともなく聞いて、それらにとらわれない。
そして、さらにはその音そのものになりきることが大切だと教わっている。 
 そういっても、なかなか凡夫ゆえ、うまくゆくはずはない。
文字通り、「そうは問屋が卸さない」というやつである。

そのうちに、左の耳元あたりで蚊の羽音がブーンと聞こえる。
「やばい!」必死で無視して"座禅三昧”にはいろうとする。
 顔のまわりを散々飛び回って、ついに右の頬に止まったようだ。
しばらく静寂が続く。
 やがて飛び立ち、ブーンという羽音をひびかせながら、数回僕の顔の周り
をまわって飛び去る。
その間5分くらいか、じっと静止しているのがこんなにつらいとは・・・。

 ようやく座禅会も終わり、帰路に着く。
空はどんよりとした雲におおわれている。
天気予報では、段々に良くなるとか。

 しばらく山に行っていないし、ぽっかりとあいた日曜日。
ままよと「ひとり登山」を実行する。
 山は近隣で、自宅から車で30分あまりの綾部市と舞鶴市の境にある。
弥仙山(みせんさん)といい、この近辺では3本の指に入る名峰である。
   (後のふたつは、青葉山と由良ヶ岳である)
 鋭い三角峰は「丹波の槍ヶ岳」とか「丹波富士」とも呼ばれるという。

 くねくねと曲がった狭い峠道を抜けて登山口に着く。
駐車場には車が1台だけポツンと止まっている。
 この間買ったばかりの新品の登山靴が心地よく足に入る。

ここは昔、大本教の修行場でもあったので神社が4つ位ある。
だから鳥居がチョコチョコ見られるのである。
 赤い小さな鳥居を右手に小川の上にかかる小さな橋を渉って登り始める。
この山は2~3回は登ったことがあるが、もう大分前の話である。

 急坂の深い樹林の中、ジグザグに登り、続いて苔むした古い石段を140
段ばかりハアハアいいながら登る。
結構息切れがする。
 その後しばらくして、山頂の金峰神社に着く。
ここまで2.1キロの行程である。
新しく整備がしてあって、案内は行き届いている。
 霧雨というのだろうか、あたりは一面の霧に包まれ湿度はきっと100%
近いのであろう。
 遠くに野鳥の鳴き声だけが響く。

ここでお昼ご飯にする。
 コンビニのオカカと明太子のおむすびがうまーい!

今回から、リュックをおろさずに水が飲めるように、トライアスロン用のペット
ボトルよりチューブが付いていて、それをチュウチュウ吸うというスマチュー
ブなるものを購入しリュックに取り付けた。
 その試運転をしたわけであるが、まあまあ便利である。
しかし、マウスピースの噛んでできる割れ目より水を吸うのに、結構力が
要るのが難点である。

 それと、携帯電話とデジカメの袋をリュックの背負いベルトにクリップで
取り付け、取出しを容易になるようにした。
 これは結構便利である。

帰路は、尾根を回りこむようにして登山口に出る「改心の道」を選ぶ。
 「改心の道」とは、意味深であるがいわれは知らない。
視界の閉ざされた、深い自然林の中をひたすら歩く。
 全長8キロ弱もあったろうか。
延々と続く狭い登山路に少々うんざりである。
 ほとんど誰にも会わない。
道端を良く見ると、イカリソウやカタクリらしき葉っぱがそこそこ見つかる。
 春先には可憐な花が眼を楽しませてくれるだろう。

やっとのことで林道に出る。
 2時間はゆうにかかったようである。
林道もかなり長かったがようやく登山口にたどり着く。

 「ひとり登山」は、ビビリのかずぼうには、熊に出くわさへんか?、また
追いはぎに襲われへんか?(江戸時代じゃあるまいし・・・)不安であった
が、それがまたスリリングで、Mではないが楽しめたのである。

 実際の話、山では携帯もほとんど通じない。
万が一ではあるが、心筋梗塞や脳溢血の発作に襲われると死に至る危
険性は十分あるのである。
 そのときは、そのとき・・・覚悟を決めなくてはならない。

霧の立ち込めた深い樹林の中を、誰にも会わずにひとり歩くというのは、
もちろん、「非日常」であり、なかなか下界では味わえない素敵な体験で
あった。

 
 

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June 04, 2009

「自転車で散歩の管長さん」

Jizousan_3

 ある人から聞いた話である。
さる有名な京都のお寺の一番えらい人・管長さんのことである。
彼は毎朝同じコースを決まった時間に自転車に乗って走るという。
 どこかのおじいちゃんという普通の格好で管長さんとは分からない。

その管長さんが、ある場所で必ず同じ男性に会うのだそうです。
 そして、毎朝、「おはようございます!」と管長さんが声をかける。
ところが、その男性は返事をしません。

 しかし、管長さんは、この返事をしない相手に2年間、同じように
挨拶を続けたそうです。
 
その2年後のある朝、その男性が初めて、「おはようございます」と
応えて、その場に泣き伏したのだそうです。
 何が起こったか詳しくはわかりません。

ただ、それだけのお話です・・・。

 かずぼうは、感動でウルウルしました。

ただそれだけのお話です。

 
 
 

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May 19, 2009

「いまこそ覚悟の時代?」

Tutuji2


 本屋へ行くと目立つところに並べてある新刊書にざっと眼を通すのを常
とする。
最近やけに、「覚悟」という文字が目につく。
 たとえば、野球選手の書いた本とかにである。

そういった中で、五木寛之著「人間の覚悟」という新書を読んだのである。
 帯には、「経済が、絆が、国が壊れていく。ついに、"覚悟"を決めるとき
が来た。」とある。
 結構、ショッキングな言葉ではある。

「覚悟」というのは、"悟りを覚える”というのが字ズラからの意味であろう。

 五木さんは言う。

「覚悟」という言葉はもともと仏教用語で、辞書には「迷いを去り、道理を
さとること」とあります。
 他に、「危険や困難を予想して、その心構えをすること」、そして、「あき
らめること、観念すること」があります。
 ”あきらめる”、という言葉は私の意見では、「明らかに究める」こと。
物事をはっきりと究め、現実はこうなのだと覚悟することでしょう。

 何かを信じる、というのは何かを選択することに他なりません。
そして選択したら異議ははさまず、証明がなくてもそのことを信じてゆく
しかないわけです。 
 自分が信じることを選択したなら、それを信じて生きていくしかないという
のも「覚悟」なのだろうと思います。

 12世紀後半、平安末期から鎌倉時代のはじめというのは、今と同様に
価値観が大きく変動した時期でした。
(地震、飢饉、火事などの天災も多く、朝廷から武士へと権力体制の変化
もありの激動の時代・・・かずぼう注)

 法然は「念仏で人は救われる、阿弥陀如来がすべての人をすくってくだ
さる」といっておおきな支持を得ました。
 そして弟子の親鸞は、なぜ念仏を信じればすくわれるのか、その秘密を
説明して欲しい、と乞うた人びとに「それは分からない。私は師の法然を
信じてその教えのままに生きています。それでもし地獄に落ちたとしても
後悔はしません」と答えるわけです。

 何かを信じたなら、裏切られることがあっても絶対に後悔もせず、責めも
しない、それも「覚悟」なのです。
 ですから、今のような時代には、"信じる”ということほど大事なことはない
のかもしれません。

 最後に、五木寛之さんは、こう結論づけます。

ブッダが「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分は誰も代わることがで
きないたった一人の存在だから尊いのです。
 そのことは、上り坂でも、下り坂でも変わりません。
この先が、「地獄」であっても、極楽であっても、です。
 生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしか
ない。
 そう"覚悟”しているのです。

なるほどね!
 「日日是好日」ということでしょうか・・・違ったかな?
「覚悟」を決めて、日日、修行・・・修行・・・ということでしょうか。


 

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May 08, 2009

「百里ヶ岳登山」

Hyakuri

          百里新道の尾根歩き


 今年は密度の濃い五月の連休だった。
例年は、どこも混んでいるし、行列や時間待ちも嫌いなほうなので、家
でゴロゴロしていて、出かけるのも近場くらいであった。
 それが今年のゴールデンウィークは行事が多かった。

29日は、愛犬アレン(2才)の兄弟や親戚が百匹以上集合するという
親睦会に出席するために犬山市まで出かけた。
 1年に1度の親睦会は河川敷で行なわれ、多くのテントが立ち並ぶ中
1年ぶりのワンちゃんや友人に出会い感激である。

3日(日)からは、1泊2日の京都行き、6日の最終日には山行きである。

 ひさしぶりの京都、先ずは臨済宗の禅寺・東福寺に出かける。
東福寺は、紅葉で有名で、シーズンには紅葉狩りの人々でごった返す。
 今は青紅葉というのか、みずみずしい青葉がそれなりに美しい。
”伽藍面”でも有名で、広大な敷地に立派な建物は壮観である。
 復興された日本で最大最古の室町時代の遺構である国宝の「山門」
通天橋からの青紅葉の広大さにも眼を見張る。
 この東福寺は、たぶん今まで2、3回は訪れているはずである。
紅葉のときに誰かさんと来たのは少し覚えているが、後は記憶にない。
 いつもながら、ええかげんな記憶である。

 足を棒にしながらの帰路の途中に、雪舟の作ったという庭園をのぞき
に芬陀院(ふんだいん)に寄る。
 縁側から、枯山水の庭園を、背景の竹林の葉ずれの音のみの静かな
空間から眺めた。
 時折のそよ風に竹の枯葉が竹とんぼの舞うように音もなく、くるくる回り
ながら落ちてゆく。
 静かだなあ・・・。
枯葉が地面に落ちる時の音さえ、聞こえるような気がする。

 その次は、京都国立博物館で開かれている「妙心寺展」を観に行く。
特に面白かったのは、開祖・関山慧玄が変わった人らしかっったようで
世縁の粘着を極端に嫌い、隠遁の生涯で、伝記や彫像、頂相等を残す
事が一切なかったそうなのである。
 だから、像ができたのは相当後のことで、実際の面相などは不明な
のだそうである。
 まわりの常識を超え、思いを貫くとはいさぎよく、りっぱという他はない。

翌日は、相国寺の「金閣・銀閣名宝展」を承天閣美術館に観に行った。
 ここはりっぱな美術館で、種々の軸物、禅僧の頂相、像、墨蹟が多数
観ることができた。
なかでも、伊藤若冲の墨絵や色鮮やかな「釈迦三尊像」は眼を惹いた。
 墨絵は、わりと平面的で地味だったが、色絵となると一転して豪華に
なる。 ・・・さすがである。

 茶道具も多く出展されており、天目茶碗が天目台に乗せてあるのを
はじめて見た。
 それに、天目茶碗というのは、中国の天目山の寺院で使われていた
茶碗で、窯変の黒茶碗だけでなくいろいろ種類があるようである。
 いろいろ勉強になるものである。
急に京都にいる先輩で、茶道具専門に陶芸にいそしんでいるらしいと
聞き及んでいたのを思い出した。

そのT先輩の住所を友人に携帯でやっとのことで聞きだし、失礼ながら
連絡もせずに突然の訪問となった。
 先輩の家は、聖護院の京大病院の近くにあった。
おそるおそる玄関のボタンを押す。

 「おうっ、何だい?どうしたっ!」
「失礼ながら、貴殿の作製された茶陶を見せて頂きたく、お伺いす」
 「うん、まあ上がれ!」

 昔、一緒に2年間ほど職場を同じくしただけなのに、快く迎えて頂く。
初めは元ガレージらしき窯場である。
 電気ガマが、でんと鎮座し、あたりに所狭しと作成中の品々が並ぶ。
次は、電動ロクロの置いてあるところに案内される。
 横に台所と食卓があるので、そこは居間と推察される。
居間の半分を作業場が占める。
 これでは奥さんが苦情を言われるのも当たり前である。
しかし、先輩は、「今、抹茶椀を作っているところなんだ!」と6つ位の
作品を見せられた。
 横で作品を乾かすための扇風機がまわっている。

師匠を持たず独学の作品は、ろくろの技が光っており、”プロ”の域に
達しているようだ。
  友人が、「君の作品は、それほどとは思わないが、T先輩の茶陶は
すごいぞ!」といったわけがわかったのである。
 「下大路閑人」(しもおおじ・かんじん)という雅号で、落款の押された
名刺を頂く。
 参った・・・参った・・・。

休日の突然の訪問、迷惑なので長居無用と早々に出る。
 それでも小1時間は居たようだ。
羊羹にお抹茶、それに自作の小壷まで頂戴した。

その後、「都めっせ」の大古本市に出向く。
 かずぼうは無類の"本好き"なので、興奮で心臓がパクパクする。
40店舗位はあるのだろうか、狭い会場に店がひしめいている。
 みんな本好きの人々でごった返しているものの私語ひとつなく意外と
静かである。
 結局2時間ばかりいたのだろうか、足を棒にしながら仏教関係の本を
4,5冊買った。
 面白いもので、皆、僕と一緒で興奮しているし疲れているのだろう。
レジでのつり銭忘れが多いらしく、係員がマイクでの呼び出しの多いこと。

 急ぎ足の京都巡りだったが、充実した日を送れて満足、満足。

やっと、連休最後の6日の「百里ヶ岳・登山」の話である。
 連休登山を毎年誘っているH先輩とM後輩は、体調が万全でないせい
か、返事がいまいち乗り気でないようだった。
 もうひとり誘ったのは、毎朝近隣の山の階段登りで鍛錬しているTさん
である。
 彼は二つ返事で、「鍛錬の成果を試して見たいので参加します」だと。

前日は、翌日の在所はアメダス・・・という天気予報。
 困ったのである。
ピンポイントの百里ヶ岳付近の天気予報をヤフーで検索すると、微雨で
1時間あたりの降水量は多くて3ミリと出ている。
 今回は南のほうに雨雲がいて、北へ向かっている模様。
その雨雲の速度が問題である。
 天気予報は6時間くらいずれると、「はずれ」になると思う。
なにせ、あるエリアの行動時間内の天気が庶民は知りたいのである。

 とにかく、行くか行かないかの決断を迫られる。
山登りの師匠に電話する。
 「そのくらいの雨なら行けるんじゃないの?まあ、隊長の決断だな!
ピンポイントの天気予報も数時間毎に変わるからよく見ておくことだね」

 リーダーの決断かあ!さすが師匠いいアドバイスをくださるのだ。
そのうち、微雨だが降水量0ミリの予報が出る。

よし!決行だ!頼りない隊長ではあるが「決断のとき来たれり」である。

 当地は夜になって、まあまあの雨が降り出した。
案の定、M後輩からは、「本当に行くの?」の電話あり。
 「当たり前だ!行くと言ったら行くのだ!」

 当日は、早朝7時の出発である。
心配された雨も当地はなく、曇り空である。
 1台の車に同乗し、いざ出発!!
1時間半ほどで、朽木の「道の駅」に到着する。
 百里ヶ岳登山口の場所がわからないため現地の人らしい、通りすがりの
おじさんに尋ねる。
 これが運のいいことに親切なおじさんだった。
「ああ、小入谷ね、ここをまっすぐ行って、都会風の黄色い喫茶店を右に折
れて10分くらいね」  詳細に、親切に教えていただく。
 小入谷を「こいりたに」と読んでいたが、正しくは「おにゅうだに」であった。

いざ出発!
 10分あまり車を走らせた頃であろうか。
通り過ごしそうな登り口をH先輩の指摘の大声で、やっとのことで発見する。

 登り口からは、道がはっきりせず、2人ほどは「撤退しよう!」と弱気。
細いやっと探り当てた道、すなわち「百里新道」を歩む。

 この道は、いわゆる尾根道でゆったりと上り下りの1時間半ばかりの道程
である。
 これが思いのほか、つらかったのである。
日頃の運動不足もあるが、距離もあり、アップダウンの連続は気分的にも
つらいのである。

 天候は降雨もなく、曇り空で湿度90%ながら、快適な気温である。
時折、イワカガミの群落に出会う。
 ピンク色の花は可憐だが、まだ時期が早いのか花の数は少ない。
葉っぱはツルツル光っていて「鏡」のようである。
 ミツバツツジの赤い花々も少し見かける。
新緑のナラ、クヌギの木々、ブナの林の中の尾根は樹木の発散するフィト
ンチッドに満たされていて格好の森林浴である。

 あたりは街中では考えられない静寂の中に、時々縄張りの主張か恋の
メッセージかはよくわからないが小鳥のさえずりが聞こえている。
 また、遠くにコガラのドラミングの音が谷間にこだまする。

ようやくのことで、「P805」(ピーク805m)の立て札、シチクレ峠を経て、
県境尾根分岐点に着く。
 ここからは後30分の急な登りである。
幻想的な濃い霧の中、他の誰にも会わずに一等三角点の百里ヶ岳の頂上
931.3mに着く。

 バンザーい!
濃い霧の中、百里四方、と言っても今の50キロ四方が見渡せるはずの展
望は・・・全く何も見えない。

もやの中での昼食・・・いつも思う。
 「アウトドアーでの食事、運動の後での空腹時の食事のうまさよ!」

出発か撤退か・・・迷いながらの決行の山登りであったが、来て良かった!
 悩んだら、とりあえず実践あるのみ・・・。
取り越し苦労して悩むより、先ず実践。
 そうすると、もしも失敗に終わっても後悔はないはず。

 山を登った後は、お決まりのコースの温泉。
朽木の道の駅「くつき新本陣」の裏の山手の「くつき温泉てんくう」で入浴。
 天然弱アルカリ温泉で、肌がツルツルし疲れた体を癒す・・・極楽、極楽。
係りの人の話から、千メートル以上も掘って出た温泉で人気ですとのこと。

こうしてメンバー4人の百里ヶ岳登山は終了したのであった。

 ブログの更新をずぼらで怠っていました。
友人に出会ったとき、「ブログが長い間更新されていないので、病気では
ないかと心配していました」と言われ苦笑のかずぼうです。 

 とりあえず連休中のことをブログにしようとして書き始めると、だらだらと
長文になってしまいました。

 悪しからず・・・。
 

 

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April 15, 2009

「諸悪莫作・・・悪いことは行なってはいけない」

Hanabana2


  近所の花壇・・・咲きかけのチューリップ


 東京に駒澤大学という大学がある。
曹洞宗関係のようで、禅の精神に基づいた「行学一如」の理念を教学の
基本とする大学のようである。
 そこの教授に角田泰隆先生(1957~)がおられる。
かずぼうは、テレビとか書物でしか知らないのだが、最近、弟子入りしよ
うかと妄想しているのだ。

 初めてお目にかかったのは、教育テレビの「こころの時代」という番組
だった。
 細身で、物腰の柔らかい、穏やかな顔をされていた。

教授は、番組の中でもよく反省され、常に自らを戒められていたのが印象
に残っている。

 しるされた書物の中で、「道元のすすめ」の「諸悪莫作という自分つくり」
のテーマでもこう話されている。

 私たちは自分で意識していなくても、知らないうちに他人を傷つけてい
ることがあります。
 私自身にもそのような経験があります。
私が僧侶としてまだまだ未熟であった若い頃、あるお宅へお仏壇の供養
をしたことがありました。
 そのときに、お参りの仕方についてお話しました。
線香は何本立てるとか、お焼香は何回するとか、鐘は何回たたくとか説
明する中で、次のようにお話しました。

 「お焼香のときは、必ず右手でいたします。インドの古い思想では、右
手が穢手とされ、右手の指についても親指と人差し指と中指が浄指で、
お焼香は右手のこの3本でつまんでいたします」と。

 その後、法要が終わってお茶をご馳走になったのですが、右手がひじ
のあたりからない女性が、左手で私にお茶を差し出し、やさしくほほ笑み
ながら「どうぞ、お召し上がりください」とお茶を勧めてくれました。

 私は、「しまった」と思いました。
彼女が私の得意げな解説を聞き、どのような思いで左手でお焼香をした
のだろうかと思うと、申しわけないと思いながらも、未熟な私は何も彼女
に語る言葉がありませんでした。

 それ以来、私はお焼香に限らず、右だの左だのという話はやめることに
しました。
 無意識であっても人の心を苦しめることがあるのです。
そういうことが日常生活にはあると、私たちは自覚しなければなりません。


 そういえば、かずぼうにも、若い頃これに似た苦い経験がある。
ある病院で研修をしていた。
 担当の患者さんは、高校生くらいの男の子で、血友病(血の止まりにく
い病気)だった。
 歯ぐきからの出血があり、がんばって歯磨きの指導をした。
彼は熱心に歯磨きをしてくれた。
 数日後、彼の腕は、関節からの出血で上がらなくなったのである。
僕の大失敗であった。

良かれと思ったことでも、人を傷つけることがあるのである。

 それ以来、言動でも行動でも、正義の主張と自分で思っていも、もしか
して間違いでは?という疑問を持つこと、また反省をいつもする習慣がつ
いたのである。


 
 

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«「無我夢中の時間」